アレクサンドリアのディオファントス
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アレクサンドリアのディオファントス(ギリシア語:Διόφαντος ὁ Ἀλεξανδρεύς、英語:Diophantus of Alexandria、生没年不詳)は古代ギリシアの数学者。ディオファントス方程式やディオファントス近似は彼の名にちなむ。「代数学の父」と呼ばれることもある。
英語版Wikipediaでは、“200 - 214年ころ生まれ284 - 298年ころ死んだ”としている。
[編集] 概略
エジプトのアレクサンドリアに住んでいた以外は、彼の人生について詳しくは分かっていない。ディオファントスの著した13巻に及ぶ『算術』 ("Arithmetica") が有名である。同書が翻訳された16世紀以降のヨーロッパにおける代数学発展に深く影響した。(現存している同書のギリシャ語版は6巻分のみ、アラビア語版は4巻分である。)また、多角数についての著書もある。
最終定理を含めてフェルマーが余白に書き込みをしたのは、バシェによるラテン語版『算術』である。
[編集] ディオファントスの墓碑銘
ディオファントスの墓碑銘として知られる問題がある。次のような問題である。簡単な一次方程式を立てて解けば84歳という解が得られる。
- ディオファントスの人生は、6分の1が少年期、12分の1が青年期であり、その後に人生の7分の1が経って結婚し、結婚して5年で子供に恵まれた。ところがその子はディオファントスの一生の半分しか生きずに世を去った。自分の子を失って4年後にディオファントスも亡くなった。
「12分の1」が“頬ヒゲを蓄えるまでの期間”を表して「7分の1」の後に来る話もある。いずれにせよ解は変わらない。
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