アンディ・マレー
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アンディ・マレー |
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基本情報 |
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英語名 | Andy Murray |
フルネーム | Andrew Murray |
愛称 | アンディ |
国籍 | ![]() |
出身地 | 同・ダンブレーン |
生年月日 | 1987年5月15日 |
身長 | 185cm |
体重 | 68kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 2005年 |
ツアー通算 | 2勝 |
シングルス | 2勝 |
ダブルス | 0勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 4回戦(2007) |
全仏 | 1回戦 |
全英 | 4回戦(2006) |
全米 | 4回戦(2006) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 13位 |
ダブルス | 98位 |
Template |
アンディ・マレー(Andy Murray, 1987年5月15日 - )は、スコットランド・ダンブレーン出身の男子プロテニス選手。2005年にプロ入りしたばかりのイギリス期待の新鋭選手で、2006年2月第2週にアメリカ・カリフォルニア州サンホセ大会でATPツアー初優勝を飾った。シングルス自己最高ランキングは13位(2007年2月)。身長185cm、体重68kg、右利き。フルネームは Andrew Murray (アンドリュー・マレー)というが、愛称の「アンディ」で呼ばれることが多い。
アンディ・マレーはスコットランドのナショナル・コーチを務めていた母親の手ほどきにより、3歳からテニスを始めた。少年時代はサッカーでも才能があり、スコットランドの名門サッカーチーム「グラスゴー・レンジャーズ」からスカウトを受けたこともあるが、職業としてテニスに専念する。ジュニア選手時代は、2004年全米オープンの男子ジュニアシングルス部門で優勝がある。2005年全仏オープンまではジュニア選手の大会にも出場したが、この年からプロテニス選手として本格的な活動を始め、地元のウィンブルドン選手権大会で4大大会の本戦にデビューした。初出場のウィンブルドンでダビド・ナルバンディアン(アルゼンチン)との3回戦に勝ち進み、マレーはイギリスの新しい才能として期待を集め始めた。続く全米オープンでは2回戦でアルノー・クレマン(フランス)に敗れたが、9月末にタイ・バンコク大会で初のツアー大会決勝進出を果たす。2005年末には世界ランキングを一気に64位まで上げ、10代の男子テニス選手としてはノバク・ジョコビッチ(セルビア)に続く高いポジションにつけた。
2006年2月13日、アンディ・マレーはアメリカ・カリフォルニア州サンホセ大会の決勝でレイトン・ヒューイットを 2-6, 6-1, 7-6 で破り、18歳9ヶ月でツアー初優勝を果たす。4大大会でも、2度目のウィンブルドンでは3回戦でアンディ・ロディックとの“アンディ対決”を 7-6, 6-4, 6-4 で制してさらに評価を高めたが、4回戦でキプロスのマルコス・バグダティスに 3-6, 4-6, 6-7 のストレートで敗れた。全米オープンで第17シードを得たマレーは、ニコライ・ダビデンコ(ロシア)との4回戦まで勝ち進み、一気に世界ランキング16位まで上昇した。
2007年全豪オープンでは第15シードを得たが、4回戦で第2シードのラファエル・ナダルに 7-6, 4-6, 6-4, 3-6, 1-6 のフルセットで惜敗した。2月にサンホセ大会で2連覇を達成。
長年イギリスのテニス界を支えてきたティム・ヘンマンも30歳代を迎え、少しずつ衰えが忍び寄ってきたため、マレーは将来を嘱望される有望選手の1人として高い期待を集め始めている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- アンディ・マレー - ATPツアーのプロフィール(英語)
- アンディ・マレー公式サイト (英語)
カテゴリ: イギリスのテニス選手 | 1987年生