エアトランセ
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エアトランセは、2005年3月13日に運航を開始した日本のコミューター航空会社。
目次 |
[編集] 概要
社名 | 株式会社エアトランセ AIRTRANSSE Inc. |
設立 | 2004年8月 |
本社住所 | 北海道函館市高松町 函館空港内 |
従業員数 | 約100名[1] |
資本金 | 800,000,000円 (秀インター、NISグループ他) |
航空会社コード | TSQ / -- |
無線呼出名称 (コールサイン) |
AIRTRA(エアトラ) |
拠点空港 | 函館空港 |
[編集] 就航まで
1997年、群馬県前橋市に本社を置く医療機器製造販売会社「シェンペクス」の『はあと航空事業部』として発足。2001年3月時点では「はあと航空として2002年4月から帯広起点に2路線で就航予定」と発表していた。2001年5月、『はあと航空』として法人設立。のち「エアァシェンペクス」に社名変更。2002年中の就航を目標に準備していたが、資金不足等から就航が何度も延期された。2004年1月30日に定期航空運送事業が許可され、6月にはドルニエDo228にて運航開始予定とされていたが、機種変更を理由に再び就航を延期していた。
2004年7月、旧社長は会社譲渡を決断。航空関係業界に相談するもすべて断られた。
観光ハイヤー事業をおこなっていた江村林香に事業売却の話が持ちかけられ、2004年8月、江村は日本国内航空会社で初の女性社長に就任。スカイマークエアラインズ(現スカイマーク)設立に携わった澤田秀雄を顧問に迎えた。社長の夫、中山淑惇も他の事業をおこないながらもエアトランセ取締役に名を連ねている。2004年8月に資本・経営陣の交代を発表、2004年10月に会社名を「エアァシェンペクス」から「エアトランセ」に変更。旧親会社のシェンペクスは2006年3月30日に自身の民事再生法適用の申し立てをおこなっている。就航以前には東京都港区虎ノ門2-10-1新日鉱ビルに本社を置いていたこともある。
2005年1月時点の株主構成は、秀インター(澤田秀雄の関連会社)16%、NISグループ(旧商号ニッシン)16%、佐々木博将15.2%、江村林香8.0%、横山充洋(旧はあと航空・旧エアァシェンペクス社長・旧オーナー)6.1%、才式祐久(エアトランセ取締役・株式会社ポロス(ホテルサンルート札幌)社長)3.2%、中山淑惇(エアトランセ副社長 管理本部長)1.6%、滝本哲史(エアトランセ監査役)1.6%、その他32.3%。3月末決算。
[編集] 就航
『北海道内の空飛ぶバス』として、ビーチクラフト1900D一機を使用し、2005年3月13日に1日2往復、片道運賃2万5000円(片道割引運賃2万円、現在はどさんこ割という地域住民割引がある)で函館空港 - 帯広空港の運航を開始。陸路で6時間を要する両地区間を約1時間で結んだ。
2005年10月1日より函館空港 - 新千歳空港、新千歳空港 - 帯広空港の運航を開始。函館空港 - 帯広空港間を新千歳空港経由で搭乗する際は、新千歳空港で降りずに機内で待機する『バス方式』を採用した。バス方式は北海道エアシステムなど他社でも行っていたが、航空情勢の変化による保安上の理由で中止されている中での採用となった。
2006年4月1日より北海道エアシステムが撤退した函館空港 - 女満別空港、同年6月20日よりすでに大手航空会社が就航している新千歳空港 - 女満別空港の運航を開始。
2006年12月より新千歳空港 - 帯広空港、2007年2月より新千歳空港 - 函館空港・女満別空港が運休となり、新千歳空港から撤退となった。5路線が2路線に縮小される。
2007年2月6日までに、現在運航している函館空港 - 女満別空港、函館空港 - 帯広空港路線を2007年3月中旬から運休し、定期航空事業から撤退することを決定した。路線そのものは、乗客が集まれば運航する不定期路線として継続する。一方、2007年3月中にも、那覇空港 - 周辺離島の不定期路線を開設し、収支改善を目指す予定[1]。2007年3月6日に国土交通省へ3月13日を以っての定期便休止、3月14日からの不定期路線申請、4月1日からの那覇空港の運航整備基地申請および2~4路線の申請を行った[2]。
[編集] 定期便運航から撤退、不定期便運航へ
2007年3月13日、帯広往復を以って定期便の運航を終了(女満別便は欠航)。同年3月14日より不定期便としての運航となり、不定期初便となった函館発女満別行には7名が搭乗した[3]。本来、不定期便は運航時刻を定めることはできないが、定期便と変わらないサービスを提供できるよう工夫するとの会社側の見解により、函館発女満別行は9時15分頃発、女満別発函館行は10時55分頃発、函館発帯広行は12時55分頃発、帯広発函館行は14時25分頃発と、ある程度決められている。
2007年3月15日には、自社ホームページにて那覇空港 - 沖永良部空港に2往復、下地島空港に1往復の就航が発表された。沖縄地区での予約はエアードルフィンで受け付けることとなっており、後述の件と合わせて両社は提携関係を深めている。
[編集] 不具合
定期便を運航していた際は予備機がない中で運航していたが、増便によって増大した定期整備や慢性的な運航乗員不足による計画運休、機材故障による欠航が他社と比較して多く発生。2006年10月より3機体制になり、新千歳空港路線からの撤退で若干余裕ができた。
- 2006年4月6日帯広空港にて離陸許可のないまま離陸のための滑走を400メートルおこなっていたが離陸には至っていない。このときの乗客は4名と報道されている。
- 2006年5月1日天候不良に伴う乗員シフトの変更で、新たな機長の手配が付かず函館空港 - 帯広空港を欠航。乗客2名が影響を受けた。この時点で操縦士9名、機長3名での3班体制と報道されている。
- 2006年12月25日に函館空港の格納庫がサイバーファームの子会社であるエアードルフィンに譲渡されていたことが発覚する。同じ建物には函館市の企業が1億円の抵当権を設定しており資金繰りの苦しさがうかがえる。
[編集] 運航路線
- 全便不定期便
那覇空港発着便は2007年4月運航開始予定。予約等はエアードルフィンにて受け付ける。
[編集] 休廃止路線
- 新千歳空港 - とかち帯広空港、函館空港、女満別空港
[編集] 使用機材
レイセオンエアクラフト社製双発プロペラターボプロップ機、ビーチクラフト1900Dを3機使用。定員は全て18名。座席は中央通路をはさみ通路両側に1列づつの2列。一号機JA016Aは白地に赤のストライプライン。2005年12月24日就航の二号機JA017Aは機体の上部四分の三がオレンジ(エアトランセ社イメージカラー)、下部が白のツートンカラー。一号機、二号機はマイク・ストーン(Mike Stone)によるリペイント。2006年10月、クリスチャン・ラッセンのイルカの絵を機体に描いた三号機が就航。自社整備をおこなっており、一等航空整備士6名、二等航空整備士7名を擁している。
就航以前は、フェアチャイルド・メトロ、ドルニエDo228と変遷をたどり、新経営体制下で現在のビーチクラフト1900Dを選択している。
[編集] マーケティング活動
- エアトランセ友の会
- 飛行機ウエディング
- ミスエアトランセ
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
- ^ 2007年2月7日付 北海道新聞朝刊「エアトランセ定期便撤退 函館-帯広・女満別 来月」
- ^ 2007年3月7日付 北海道新聞朝刊「エアトランセ、定期便運休届け出 乗り合い方式などへ転換」
- ^ 2007年3月15日付 北海道新聞朝刊「「乗り合い」第1便離陸 エアトランセ」