クレシーの戦い
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クレシーの戦い | |
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戦争: 百年戦争 | |
年月日: 1346年8月26日 | |
場所: フランス、カレーの南、クレシー近郊 | |
結果: イングランドの決定的な勝利 | |
交戦勢力 | |
イングランド | フランス |
指揮官 | |
エドワード3世 | フィリップ6世 |
戦力 | |
12,000 の軍勢 | 30,000-40,000 の軍勢 |
損害 | |
150-1,000の死傷者 | 6,000-20,000の死傷者 |
クレシーの戦い(Battle of Crécy)は、1346年8月26日に百年戦争の一環としてフランス北部、港町カレーの南にあるクレシー近郊で行われた戦い。
目次 |
[編集] 概要
クレシーの戦いではエドワード3世率いる少数のイングランド軍(約1万2千人)がフィリップ6世率いるフランス軍(約3万~4万人)を打ち破った。歴史家はこの戦いを騎士道華やかなりし時代の終焉の始まりを告げるものだったと位置づける。戦場は保存されて観光名所となっている。
[編集] 背景
1340年6月23日にスライスの海戦で勝利したイングランドだが、陸戦で苦戦し、それ以上の戦果は挙げられなかった。しかし、6年後の1346年にノルマンディーから上陸、北上した。
[編集] 戦い
[編集] イングランド軍の備え
8月26日の朝、イングランド軍はスコットランド独立戦争における教訓により、ウェールズ領から徴兵されたロングボウ部隊の弱点を補う為に、クレシー村近郊の低い山に陣地を構えた。イングランド軍は中央に歩兵隊を配置し、エドワード黒太子がそのうち一隊を受け持った。さらに、緩やかな斜面にそって逆V字型になるように両翼にロングボウ部隊を配置し、打たれ弱い彼らに対する騎兵の突撃を防ぐために穴を堀り、杭を打ちたてた。エドワード3世自身は後方に陣を構え、風車を指令所とした。
[編集] フランス軍の到着
昼過ぎに戦場にフィリップ6世率いるフランス軍が到着。フランス軍の騎士は、自身の力への過信の為に血気盛んで、統率を乱していた。フィリップ6世はこれを見て当日の戦闘開始を決意。ロングボウ部隊に対抗するためにクロスボウ部隊を前衛に配置し、その後方にフランス騎士軍(重騎兵部隊)を配置した。
[編集] 長弓対弩
まずフランス軍のジェノヴァ人の傭兵で構成されたクロスボウ部隊が射撃を行い、戦闘が開始された。対するイングランド軍は、ウェールズ人の自由農民で構成されたロングボウ部隊が応射し、射撃戦となった。フランス軍はイングランド歩兵の恐怖を煽るために、クロスボウ部隊の攻撃に合わせて楽器を打ち鳴らしたが、その目論見は脆くも崩れ去った。本来、射程や命中精度にまさるとされるクロスボウであったが、ロングボウ部隊は上方からの射撃であり、地理上の優位があった。
また、エドワード1世の時代より時間をかけて鍛え上げられてきたロングボウ部隊は練度も高く、クロスボウに比べて扱いの難しいロングボウを完璧に使いこなしていた。なによりも、1分間に1、2発程度しか発射できないクロスボウと、1分間に6~10発と速射性能で大きくまさるロングボウとの差は明白で、クロスボウ部隊は散々に打ち負かされた。
劣勢となったフランス軍だったが、怯むことなく重騎兵部隊による突撃戦術を敢行する。しかし、自然の傾斜と人工の障害によってその進行は妨げられ突撃の威力は減少した。それでもなおフランス軍は幾度も突撃し、正面の歩兵部隊に仕掛けるが、イングランド軍の陣形を崩すことができず、両側面から矢を射掛けられて負傷者が続出した。夕暮れになってフィリップ6世は自軍の退却を命じ、クレシーの戦いは終結した。
[編集] 戦いの被害
この戦いによる被害は甚大で、フランス軍の死傷者は1万から3万までの説がある。最も適当な数は1万2千人と言われ、その1割は騎士で、11人のプリンスが含まれており、フィリップ6世自身も負傷した。一方イングランド軍の死者は150~250人と少ないが、この数には信憑性が低く、過小評価されたものであるとされている。
また、死者の中には以下の重要な貴族も含まれている。
- アランソン公にしてフィリップ6世の弟のシャルル・ド・ヴァロア。
- ボヘミア王にして神聖ローマ皇帝カール4世の実父・ルクセンブルク伯ヨハン(ジャン)。
- フランドル伯ルイ・ド・ヌーヴェル。
- ロレーヌ公ルドルフ。
[編集] 戦いの余波
フランス軍退却後、イングランド兵は身代金を取るために敗残兵のチェックを行った。その際、重傷の兵士はミゼリコルデ(慈悲の短剣)によって止めを刺された。その後、イングランド軍は港町カレーを包囲し占領したが、ペストの流行などの要因により一時休戦協定を結び、足踏みを余儀なくされる。
しかし、この戦いでロングボウ部隊を利用した戦術を用いて勝利したイングランド軍は、フランス軍のクロスボウ部隊および重騎兵部隊を用いた戦術に対して優位に立ち、以後の戦いでも同様の戦術で勝利を収めていくこととなる。