ジャック・ブルーム
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ジャック・ブルームフィールド(Jack Bloomfield , 1932年8月7日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手。近鉄、南海でプレーした内野手でポジションは二塁手、右投げ左打ち。登録名はブルーム、背番号は近鉄・南海在籍時一貫して26。
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[編集] 来歴・人物
アメリカでは一回もメジャーに上がることはなく、3Aにあがるのがやっとでまったくの無名選手だった。1960年に知人の紹介で来日し、近鉄バファローズへ入団。1962年 .374という素晴らしい打率をマークし、首位打者を獲得する。なお、これは近鉄に所属した選手中のシーズン最高打率である。
1963年には.335の打率で2年連続の首位打者に輝き。また、最高出塁率のタイトルも獲得。1965年には南海ホークスへ移籍。南海の優勝へ貢献した。1966年限りで南海ホークスを退団。
[編集] 年度別成績
※表中の太字の数字はリーグ最高成績を示す。
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1960年 | 近鉄 | 58 | 183 | 22 | 51 | 11 | 1 | 5 | 17 | 5 | 0 | 2 | 22 | 27 | .279 |
1961年 | 近鉄 | 108 | 354 | 44 | 105 | 27 | 4 | 7 | 32 | 7 | 2 | 2 | 33 | 41 | .297 |
1962年 | 近鉄 | 112 | 401 | 56 | 150 | 26 | 8 | 12 | 74 | 6 | 2 | 4 | 39 | 35 | .374(1) |
1963年 | 近鉄 | 121 | 439 | 62 | 147 | 31 | 6 | 9 | 62 | 3 | 1 | 1 | 45 | 50 | .335(1) |
1964年 | 近鉄 | 124 | 429 | 55 | 126 | 26 | 4 | 13 | 69 | 4 | 4 | 4 | 44 | 37 | .294(7) |
1965年 | 南海 | 74 | 248 | 39 | 75 | 8 | 0 | 9 | 36 | 0 | 1 | 4 | 21 | 28 | .302 |
1966年 | 南海 | 113 | 350 | 50 | 103 | 16 | 2 | 6 | 33 | 2 | 6 | 4 | 48 | 49 | .294 |
通算成績 | --- | 710 | 2404 | 328 | 757 | 145 | 25 | 61 | 323 | 27 | 16 | 21 | 252 | 267 | .315 |
[編集] タイトル・記録
- 首位打者(1962-1963)
- 最高出塁率(1963)
- ベストナイン 二塁手部門(1962-1963)
- オールスターゲーム出場 5回(1961年~1964年、1966年)
- オールスターゲーム最優秀選手(1962年第1戦)
[編集] エピソード
- 近鉄在籍時、試合中に、ある観客の「ヤンキーゴーホーム!」などの度重なるヤジに激怒したブルームは、スタンドに乗り込んでその観客を殴ったことがあった。しかし罰金などの制裁は科されたものの、刑事処分に発展することはなかった。(その観客は球場関係者の間では汚いヤジを飛ばすことで有名であった)
- ブルームの外角打ちの上手さに目をつけた張本勲は、ある日ブルームに外角打ちの極意を尋ねた。それに対してブルームは、「外角を打つには内角を打つのが上手でないといけない。それは、外角に意識が向いている時に内角に直球が来ると手が出ないからである。こちらが内角を打つのが上手だと、投手が内角に投げるのを嫌がって外角に投げることが増える。そこで、相手の配球を読んで投手が外角に投げてくるのを狙い打つのだ(すなわち相手が外角に投げてくるとわかるので上手に外角が打てる)」と説明をした。これを聞いた張本は、なるほど、バッティングとは奥が深いと感心したそうである。
- ブルームが外角を打つのが上手なのは内角を打つのが上手いからだと考えた野村克也は、ブルームに内角打ちの極意を尋ねた。それに対してブルームは、「腕をたたみ、バットを立てるようにして最短距離でボールを打つのだ」と答えたと言う。ブルームのアドバイスが功を奏したのかはわからないが、野村は内角ギリギリの球を上手に打ってレフトポール際にホームランを打つのが得意であった。
- ドラッグバントで内野安打を稼ぐのが得意であった。