セドリック・ピオリーン
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セドリック・ピオリーン |
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基本情報 |
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英語名 | Cédric Pioline |
フルネーム | Cédric Adrien Pioline |
国籍 | ![]() |
出身地 | 同・ヌイイ・シュール・セーヌ |
生年月日 | 1969年6月15日 |
身長 | 187cm |
体重 | 79kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1989年 |
引退年 | 2002年 |
ツアー通算 | 6勝 |
シングルス | 5勝 |
ダブルス | 1勝 |
生涯通算成績 | 430勝368敗 |
シングルス | 389勝318敗 |
ダブルス | 41勝50敗 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 4回戦(1998) |
全仏 | ベスト4(1998) |
全英 | 準優勝(1997) |
全米 | 準優勝(1993) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 5位 |
ダブルス | 93位 |
Template |
セドリック・ピオリーン(Cédric Pioline, 1969年6月15日 - )は、フランス・ヌイイ・シュール・セーヌ出身の男子プロテニス選手。フルネームは Cédric Adrien Pioline (セドリック・アドリアン・ピオリーン)という。1993年の全米オープンと1997年のウィンブルドンで、4大大会に2度の準優勝がある。シングルス自己最高ランキングは5位。ATPツアーでシングルス5勝、ダブルス1勝を挙げた。身長187cm、体重79kg、右利き。フランス語の読みにより近い「ピオリーヌ」という表記も多く見られる。オールラウンド・プレーヤー。
ピオリーンは16歳という非常に遅い年齢からテニスを始めたが、極めて高い運動能力の持ち主だった。1989年に20歳でプロ入りし、1991年に世界ランキングトップ50位以内に入る。1993年にウィンブルドンで初のベスト8に入り、同年の全米オープンで第15シードから決勝進出を果たす。この大会で、ピオリーンは4回戦で第1シードのジム・クーリエを 7-5, 6-7, 6-4, 6-4 で破る波乱を演じたが、決勝でピート・サンプラスに 4-6, 4-6, 3-6 のストレートで完敗した。この年は男子ツアーで5度の決勝進出があり(いずれも準優勝止まり)、初めて世界ランキングトップ10入りを果たしている。1995年のウィンブルドンで2年ぶり2度目のベスト8に入ったが、準々決勝でボリス・ベッカーに 3-6, 1-6, 7-6, 7-6, 7-9 で惜敗した。2セット・ダウン(先に相手に2セットを取られた状態)から、第3・第4セットのタイブレークを連取して最終第5セットに持ち込んだが、フランス人挑戦者の執念は実らなかった。
1996年3月、ピオリーンはようやくデンマーク・コペンハーゲンの大会で待望のツアー初優勝を実現させた。翌1997年のウィンブルドンで4年ぶり2度目の4大大会決勝進出を果たした時、ピオリーンは準決勝で1991年の優勝者ミヒャエル・シュティヒを 6-7, 6-2, 6-1, 5-7, 6-4 のフルセットで破っている。シュティヒはこの大会を最後に現役を引退した。しかし決勝ではまたもやピート・サンプラスに 4-6, 2-6, 4-6 のストレートで敗れ、4大大会で2度目の準優勝に終わった。1998年は地元の全仏オープンで初のベスト4に進出したが、準決勝でスペインのアレックス・コレチャに 3-6, 4-6, 2-6 で敗れた。ウィンブルドンでは1999年にもベスト8に進出し、1993年・1995年・1997年(準優勝)・1999年と2年おきに準々決勝へ名乗りを上げている。2000年にツアーで年間2勝を挙げた。
ピオリーンの現役生活を通じて、サンプラスには極端に苦手意識が強く、9度の対戦で1度も勝てなかった。2002年のシーズンを最後に現役を引退し、現在は35歳以上の現役引退選手を対象とするシニア・ツアーに参戦している。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- セドリック・ピオリーン - ATPツアーのプロフィール(英語)
- デビスカップ成績表
カテゴリ: フランスのテニス選手 | 1969年生