チェスター・ニミッツ
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チェスター・ウィリアム・ニミッツ(Chester William Nimitz, 1885年2月24日 - 1966年2月20日)は、アメリカ海軍の軍人、元帥。第二次世界大戦中のアメリカ太平洋軍および連合軍の陸海空3軍の最高司令官。彼はアメリカ海軍の潜水艦の権威であった。日本海軍を駆逐し、数多くの戦果をあげたが、彼自身は親日家であり、東郷平八郎元帥を尊敬していたという。
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[編集] 初期の経歴
ニミッツはチェスター・バーナードおよびアンナ・(ヘンケ)ニミッツ夫妻の息子として、テキサス州フレデリックスバーグで生まれた。彼は1901年にアメリカ海軍兵学校に入学し、1905年1月に卒業した。卒業席次は114人中7番
ニミッツはサンフランシスコで戦艦オハイオ(BB-12)に配属となり、東アジアへ航海する。このとき日本で東郷平八郎と出会い、少なからぬ影響を受けたとされる。 1906年9月にボルティモア(C-3)に転属となり、1907年1月31日から二年間少尉として勤務した。1910年10月大尉に昇進。
1913年4月に彼はキャサリン・ヴァンス・フリーマンと結婚した。
[編集] 第一次世界大戦
1916年8月少佐昇進 1918年3月中佐昇進 1927年7月大佐昇進
[編集] 第二次世界大戦
1938年7月少将昇進、8月に航海局長に就任。 1941年ワシントンの自宅のラジオの臨時ニュースで真珠湾攻撃を知る。12月31日ハズバンド・キンメル大将の後任として太平洋艦隊司令長官に就任。この時大将に昇進。以後終戦まで指揮を執る。 1944年12月元帥に昇進。 1945年戦艦ミズーリ艦上での降伏調印式に臨席。合衆国代表として降伏調印の署名をする。
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[編集] 戦後
1945年海軍作戦部長に就任、1947年12月任期終了とともに退役。 1955年ごろ戦艦三笠の保存費用として当時の金額で二万円を寄付。 1960年 回戦録、「The Great Sea War」を執筆。1962年に「ニミッツの太平洋海戦史」の名で日本語版が出版される。
ニミッツ海軍元帥は1966年2月20日の夜に自宅で死去した。その死の場所はトレジャー・アイランドあるいはサンフランシスコ湾のヤーバ・ブエナ島と諸説ある。遺体はサンフランシスコの海軍墓地に埋葬された。
[編集] 外部リンク
- Fleet Admiral Chester William Nimitz's biography at the Official U.S. Navy website
- Fleet Admiral Chester W. Nimitz's biography at the California State Military Museum website
- National Museum of the Pacific War
- USS Nimitz Association
- Nimitz-class Navy Ships at Federation of American Scientists
- Nimitz State Historic Site in Fredericksburg, Texas
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