トロイの木馬
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トロイの木馬(トロイのもくば)は、ギリシア神話に登場する装置。
[編集] 概要
ギリシア神話のトロイア戦争において、トロイ(トロイア、イリオス)を陥落させる決め手となった装置。木でできており、中に人が隠れることができるようになっていた。
トロイア戦争において、ギリシア勢の攻撃が手詰まりになってきたとき、オデュッセウスが木馬を作って人を潜ませ、それをイリオス市内に運び込ませることを提案した。参加して日の浅いネオプトレモスとピロクテテスは戦いに飢えていたので反対したが、戦いに倦んでいた他の諸将は賛成した。これはトロイア戦争の始まる前、三つの神託がギリシア勢に下された為である。その神託とは、ネオプトレモスの戦争への参加、トロイアにあるアテナ像(パラディオン)がトロイアの外に持ち出されること、トロイア城正門の鴨居が壊されることで、この三つが果たされなければトロイア城が陥落することは無いとのものであった。この時点でネオプトレモスは戦争に参加していた為、オデュッセウスとディオメデスがパラディオンを強奪し、巨大な木馬を製作して、トロイア勢がこれを城内に入れる際、自ら進んで門を破壊するよう仕向ける事にしたのである。
このため、強くはなくとも大工の技に長けていたエペイオスが木馬の製作を指揮することとなった。エペイオスはイデ山から木を切り出させ(自軍の船の木材を転用したとも)それを材料に木馬を組み立てた。木馬作成の過程は、トリピオドーロスの『トロイア落城』に最も詳しく書かれている。
木馬が完成すると、ネオプトレモス、メネラオス、オデュッセウス、ディオメデス、ピロクテテス、小アイアスらが乗り込み、最後にエペイオスが乗り込んで扉を閉じた。木馬をイリオス市内に運び込ませるためには、誰か一人イリオス勢に顔を知られていないものが残り、敵を欺く必要があった。この役にはシノン(シノーン)が立候補した。残りのギリシア勢は寝泊りしていた小屋を焼き払い、船で近くのテネドス島に移動した。
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夜が明けると、イリオス勢は、ギリシア勢が消えうせ、後に木馬が残されていることに気がついた。ギリシア勢が去って勝利がもたらされたと信じたイリオス勢は、市内から出てきて木馬の周りにあつまり、シノンを発見した。イリオス勢はシノンを拷問し、ギリシア勢の行方や木馬の作られたいきさつを問いただしたが、シノンは正しいことを言わず、「ギリシア勢は逃げ去った。木馬はアテナの怒りを鎮めるために作ったものだ。そして、なぜこれほど巨大なのかといえば、この木馬がトロイア城内に入ると、この戦争にギリシア勢が負けると預言者カルカスに予言されたためである」としてイリオス勢を欺き通した。
欺かれたイリオス勢は木馬を引いて市内に運び込んだ。ラオコーンとカッサンドラが市民たちをいさめ、木馬に槍を投げつけた。その直後、海から2匹の大蛇が現れ、ラオコーンとその二人の息子をくびり殺したため、市民たちは考えを変えた。門は木馬を通すには狭かったので、壊して通した。そして、アテナの神殿に奉納した。イリオス勢はその後、市を挙げて宴会を開き、全市民が酔いどれ眠りこけた。守衛さえも手薄になっていた。
市民たちが寝静まった夜、木馬からオデュッセウスたちが出てきた。そして計画どおり松明でテネドス島のギリシア勢に合図を送り、彼らを引き入れた。その後ギリシア勢はイリオス市内をあばれまわった。酔って眠りこけていたイリオス勢は反撃することができず、アイネイアスなどの例外を除いて討たれてしまった。イリオス王プリアモスもネオプトレモスに殺され、ここにイリオスは滅亡した。