ドイツ中央党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドイツ中央党は、かつてドイツに存在したカトリック系政党。現在のキリスト教民主同盟とキリスト教社会同盟は、この政党の流れを汲んでいる。
[編集] 沿革
1870年に南ドイツのカトリック派が、プロテスタントに対抗するために結成。1870年代に、カトリック教会・信徒の弾圧(文化闘争)を推進するビスマルク首相と対立するが、社会民主党の躍進を恐れるビスマルクは、中央党との懐柔策をとる。
カトリック信徒を母体にしているため、元来、党全体としては保守的な傾向が強かったが、1910年代以降、エルツベルガーら党内左派の主導の下で左傾化。ワイマール時代には、最も多くの首相を輩出し、社会民主党とも連立政権を組むなど、歴代政権において主導的な役割を果たした。
その後は、次第に右傾化。1929年に党首となった党内右派のパーペンは、政敵シュライヒャーに対抗するためにナチスと手を結び、ヒトラー内閣の成立に尽力。1933年発足のヒトラー政権下で、中央党は与党となり、パーペン自身も副首相として入閣。同年3月の授権法にも賛成するが、結果としてナチスによる一党独裁を許容することとなり、7月に自発的解散を余儀なくされた。
[編集] 主な出身政治家
- コンスタンチン・フェーレンバッハ(1920年-1921年首相)
- ヨーゼフ・ヴィルト(1921年-1922年首相)
- ヴィルヘルム・マルクス(1923年-1924年、1926年-1928年首相)
- ハインリッヒ・ブリューニング(1930年-1932年首相)
- フランツ・フォン・パーペン(1932年首相、1933年-1934年副首相)
- コンラート・アデナウアー(1917年-1933年ケルン市長、戦後に首相)