ナザレのヨセフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナザレのヨセフないしイオシフは新約聖書に登場するマリアの婚約者、夫にしてイエスの養父。職業は大工であったという(マタイ13:55)。キリスト教の聖人で、祝い日は3月19日。
『マタイによる福音書』によれば、ヨセフはダビデ家のすえであり、父はヤコブという人物である。だが、『ルカによる福音書』にみられる家系図ではヨセフの父はエリという名前であることになっている。
ヨセフは「義しい人」であったと『マタイによる福音書』はいう。彼は婚約者のマリアが孕んでいることを知ると、律法に忠実な義人であればマリアを不義姦通として世間に公表した上で離縁することをせず、ひそかに縁を切ろうとした。が、『マタイによる福音書』では夢にあらわれた天使の受胎告知によってマリアと結婚した。マタイおよびルカ福音書ではマリアは聖霊によって孕んだとあるため、ヨセフは伝統的に「イエスの父」ではなく「イエスの養父」と表現される。
また、このことは、旧約における同名の、ヤコブの子ヨセフの出生に由来する。ヨセフのヘブライ語の意味は、「加えるように」。彼の母は、彼を生むと「神がわたしの恥をすすいでくださった」(創世記30:23)と言い、「主がわたしにもう一人の男の子を加えてくださいますように」と願ったので、その子をヨセフと名づけた(創世記30:24)。このエピソードは、新約に至って、ヨセフが母マリアの恥をすすぎ、実子ではない一人の男の子を加える根拠となった。
マタイ福音によれば、イエスがユダヤのベツレヘムで生まれたあと、ヘロデ大王によって幼児殺害の命令が出たため、ヨセフは妻と子を連れてエジプトに避難する。ヘロデ王の死後、エジプトから戻ってくるが、ヘロデ王の子が治めるユダヤを避けてガリラヤのナザレに行き、そこで暮らした。
ただし、旧約にナザレという地名はない。ヤコブが息子ヨセフに「ナザレ人(ナジル人:聖別された人)となるよう」死の床で伝えた(ヘブライ語創世記49:26)ことが成就するために、新約に至ってナザレに向かったのである(マタイ2:23)。
ルカ福音ではもともとヨセフはナザレの人であったが、住民登録のために身重の妻とベツレヘムへ赴いたことになっている。また、12才のイエスが行方不明になったとき、マリアと共に探しエルサレム神殿で彼を発見している。
福音書には、養父ヨセフの人生の終わりに関する記録はないが、伝承によれば、ヨセフはイエスが公生活を開始する直前に亡くなったという。
労働者の守護聖人であり、大工であったヨセフの像はしばしば大工道具を手に持っていることがある。
福音書の記述からイエスのほかにヤコブ、ヨセフ、ユダ、シモンの4人の息子と2人の娘をもうけた可能性が示唆される(カトリックではアラム語の慣用から甥・姪だったとする説が主流である)。これらの人物がヨセフの子だとする場合も、母が誰かについては議論があり、伝統的に東方教会ではマリヤの前にいた前妻の子だと考えている。プロテスタント教会は、多くイエスと同じくマリヤの子どもたちだとする。