ハーミーズ (空母・初代)
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ハーミーズ | |
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艦歴 | |
起工 | 1918年1月15日 |
進水 | 1919年9月11日 |
就役 | 1924年2月18日 |
喪失 | 1942年4月9日(セイロン沖海戦) |
除籍 | 年月日 |
要目 | |
艦種 | 航空母艦 |
艦級 | - |
排水量 | 10,850 t(基準) |
全長 | 182.3 m |
全幅 | 21.3 m |
吃水 | 5.7 m |
乗員 | 664 名 |
機関 | パーソンズ式オール・ギヤード蒸気タービン2基、ボイラー6基、出力40,000馬力、2軸 |
速力 | 25 ノット |
航続距離 | 18ノットで2,930浬 |
兵装 | 14cm(45口径)単装砲6基 10.2cm単装高角砲4基 3ポンド単装砲4基 |
搭載機 | 20機 |
ハーミーズ(HMS Hermes)はイギリス海軍の航空母艦。最初から空母として建造された艦としてはイギリス海軍では初めての、世界でも日本海軍の鳳翔に次いで2番目の艦である。日本ではハーミスまたはハーミズとして知られている。
[編集] 概要
ハーミーズは1918年1月15日、アームストロング・ホイットワース社で起工された。 1919年9月11日に進水したが竣工したのは1923年7月であった。
第二次世界大戦では短期間本国艦隊と共に行動した後、1939年10月から南大西洋で活動した。フランスが降伏するまではダカールのフランス艦隊と共に行動し、フランス降伏後はヴィシー政権側に付いたダカールのフランス軍艦艇を攻撃した。
1940年7月、商船と衝突し南アフリカのサイモンズタウンで修理を行った。修理後はインド洋で警備活動にあたった。
日本軍のインド洋攻撃の際、ハーミーズはセイロン島のトリンコマリーで修理中であった。4月9日日本軍はトリンコマリーを空襲した。ハーミーズは脱出したがバッティカロア沖で日本軍の偵察機に発見され、日本軍の機動部隊から発進した九九式艦上爆撃機85機の攻撃を受けた。45機がハーミーズを爆撃、爆弾37発が命中しハーミーズは沈没した。戦死者307名。同行していた駆逐艦ヴァンパイア、コルベットHollyhock、タンカー2隻も撃沈されている。この戦闘の生存者590名は病院船Vitaに救助されコロンボへ送られた。