バイロイト音楽祭
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バイロイト音楽祭(Richard-Wagner-Festspiele, 独)は、ドイツのバイロイトのバイロイト祝祭劇場で毎年7月、8月に行われる、ワーグナーの歌劇・楽劇を演目とする音楽祭であるが、祝祭劇場の定礎式にベートーヴェンの第九が演奏された由来に基づき、しばしば第九が演奏される。楽劇の演目は「さまよえるオランダ人」から「パルシファル」までと限定されている。「タンホイザー」はパリ版(ヴェヌスベルクの音楽が長い)が使われている。合唱はヨーロッパのオーディションによって集め、オーケストラはドイツのプロ・オーケストラから集められ(シュターツカペレ・ドレスデンのメンバーが特に多いとのこと)、歌手は総監督が主に世界中の歌劇場からピックアップする、世界で最も人種差別のない歌劇場と言われている。
現在の総監督はリヒャルト・ワーグナーの孫のウォルフガング・ワーグナーである。
これまでにアルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ハンス・クナッパーツブッシュ、カール・ベーム、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ピエール・ブーレーズ、カルロス・クライバー、ジェームズ・レヴァインなど、その時代に有名な指揮者が招かれている。日本人指揮者では、2005年に大植英次が「トリスタンとイゾルデ」を指揮するのが初めて。
日本では、毎年末にNHK-FMで放送されている。
2006年の音楽祭は、7月25日(火)~8月28日(月)に開催され、毎年約30公演が行われる。
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[編集] 歴史
[編集] 第1回から第二次大戦終結まで
ワーグナーは、かねてから己の楽劇を、他人の手に触れさせず己の理想的な形で上演できる劇場用の土地を捜し求めていたが、なかなか理想的な土地は見つからなかった。また、苦心して捜し求めた地も、政治的な理由などで追い出されたりもした。やがて、親しくしていたバイエルン国王ルートヴィヒ2世により、フリードリヒ大王の皇女が建築した辺境伯劇場があったバイロイトの地を提供された。しかし、そこにあった劇場にも満足できなかったワーグナーは、自ら劇場を建築することを決心し、ルートヴィヒ2世からの資金提供を受け、定礎式の収入なども建築費用に充てた。あくまで「仮住まい」として建築されたため、結果的に建築費用は抑えられた。余った費用は、別荘であるヴァンフリート館建築などに充てられた。しかし、それ以外の費用(上演用など)は全然足りなかったので、ルートヴィヒ2世におねだりしてさらなる借金をしている。
1876年、ルートヴィヒ2世やプロイセン皇帝ヴィルヘルム1世、当時は帝国だったブラジルのペドロ2世などの国賓や、フランツ・リスト、アントン・ブルックナー、ピョートル・チャイコフスキーなどの音楽家などの観衆を集め、「ニーベルングの指環」で第1回の音楽祭が開かれた。結果としては大赤字となり、舞台評もあまり芳しくなく、ワーグナー自身もひどい鬱になるほどの落ち込みようだった。また、大赤字が尾を引いたせいで1882年まで音楽祭は開かれず、「指環」も1896年まで上演されなかった。第2回の1882年以降は休みの年を挟みながらなんとか開催されたが、第一次世界大戦と、戦後の凄まじい混乱の影響で、1915年から1923年までは開催されなかった。
再開後のエポックは1930年のトスカニーニ初出演であった。これまではドイツ人・ドイツ系指揮者しか指揮台に立たなかった音楽祭であったが、リヒャルトの息子ジークフリート・ワーグナーとその妻ウィニフレッド・ウィリアムズの尽力で、初の外国人指揮者として招聘されたのであった。しかし、トスカニーニは忍び寄ってきたナチスの影響(ウィニフレッドが猛烈なヒトラー崇拝者だった)や、ヨーロッパの歌劇場特有の主導権争い(1930年にジークフリートが急死し、バイロイトでもこの手の騒動が起こっていた)に嫌気が差し、1931年限りでバイロイト出演を終えた。ドサクサにまぎれて、1931年初出演のフルトヴェングラーも一時バイロイトを離れた。以降の音楽祭は次第にナチ色を増し、舞台の小道具などにさりげなく「ハーケンクロイツ」が描かれていることもあったという。第二次世界大戦さなかの1944年も辛うじて開催されたが、それが限界だった。翌1945年にはバイロイトも連合軍機の空襲を受け、劇場は無事だったものの、ヴァンフリート館やリスト(バイロイトで亡くなった)の墓廟が破壊された。この年以降1951年まで開催されなかった。
[編集] 「バイロイトの第九」から現在まで
戦後、ヒトラー崇拝を止めなかったウィニフレッドを追放し、ヴィーラント・ワーグナー、ウォルフガング・ワーグナーの兄弟が音楽祭を支えることとなり、バイロイトの民主化が一応なされた。1951年7月29日、そのライヴ録音が名盤として名高いフルトヴェングラー指揮の「第九」で音楽祭は再開された。再開後初出演したのはクナッパーツブッシュ(クナ)とカラヤンであった。再開されたとはいえ、音楽祭はなお資金不足が深刻であった。苦肉の策でヴィーラントらは、最低限の簡素なセットに照明を巧みにあてて暗示的に舞台背景を表現するという、新機軸の舞台を考案する。舞台稽古初日、舞台を見回したクナは愕然とする事になる。いまだにセットが準備されてないのだと思い込み、「何だ舞台がまだ空っぽじゃないか!」と怒鳴ったという。しかしこの資金不足の賜物であった「空っぽ」な舞台こそが、戦後のヨーロッパ・オペラ界を長らく席巻する事になる「新バイロイト様式」の始まりであった。事情が事情であったが指揮者のクナやカラヤンはこの演出に大いに不満であり、カラヤンは翌1952年限りでバイロイトを去ってしまった。クナもそうするつもりであったが、1953年の音楽祭に出演し以降の出演も約束されていたクレメンス・クラウスが1954年に急死してしまった。慌てたヴィーラントとヴォルフガングはクナに詫びを入れ、三顧の礼を尽くしてクナを音楽祭に呼び戻した。以降、亡くなる前年の1964年までクナはバイロイトの音楽面での主柱となった。なお「新バイロイト様式」の舞台も、ヴィーラントとウォルフガングが交互に演出しながら1973年まで続いた。1955年には初のベルギー人指揮者として、ドイツ物も巧みに指揮したアンドレ・クリュイタンスが初出演。1957年にはヴォルフガング・サヴァリッシュが当時の最年少記録(34歳)を打ち立てた。1960年には初のアメリカ人指揮者ロリン・マゼールが、史上最年少記録の更新(30歳)を引っさげて初出演を果たした。1962年にはベームが、1966年にはブーレーズが、1974年にはカルロス・クライバーがそれぞれ初出演した。演出の方も、1966年にヴィーラントが亡くなってからは弟のウォルフガングが総監督の職を引き継いだ。
1976年ウォルフガングは、かつては革新的な上演をもくろみ、音楽祭創立100周年の記念すべき年の「指輪」の上演を、指揮者ピエール・ブーレーズと演出家パトリス・シェローのフランス人コンビにゆだねた。シェローは気心知れた舞台担当や衣装担当を引き連れて、「ワーグナー上演の新しい里程標」を打ち建てるつもりだったが、初年度はブーレーズのフォルテを忌避するフランス的音楽作りともども激しいブーイングと批判中傷にさらされてしまう。警備の為に警察まで出動するという未曾有のスキャンダルになった。しかしシェローは年毎に演出に微修正を加えて行き、ブーレーズの指揮も見る見る熟練していったおかげもあり、最終年の1980年には非常に洗練された画期的舞台として、絶賛を浴びることとなった。
その後指揮者の顔ぶれも、レヴァインやジュゼッペ・シノーポリ、ダニエル・バレンボイムなど新世代の指揮者に様変わりした。2005年には東洋人として初めて大植英次が初出演を果たす。しかし、演出ともども芳しい評価は得られなかった。翌年「トリスタン」の指揮はベテランのペーター・シュナイダーに変えられてしまう。大植の降板劇は差別的なものではなく、過去の幾人かの指揮者にも起こった事態でもある。カラヤン、マゼールの先例もあり、ショルティやクリストフ・エッシェンバッハらも一年で降板させられている。音楽祭では指揮者降板や変更は日常茶飯事であるが、近年では激しい批判を浴びた場合、舞台はともかく指揮は「安全パイ」的な指揮者に上演をゆだねるケースが増えている。昨今の芳しくないドイツの景気状況もあり、かつてのブーレーズ&シェローのような冒険的上演がやり辛くなっているようだ。
演出面では、シェロー演出の成功以降、バイロイトでは革新的な演出家を招く事が多くなった。ゲッツ・フリードリッヒ、ハリー・クプファーらのモダンな演出は賛否両論巻き起こした。近年ではキース・ウォーナーやユルゲン・フリムらが、高く評価されている。
なお視覚面では、劇作家ハイナー・ミュラー演出の「トリスタンとイゾルデ」では、日本人デザイナー山本耀司が衣装を担当し大きな話題になった。
[編集] 出演指揮者一覧
初出演順
[編集] 19世紀
ハンス・リヒター、へルマン・レヴィ、フランツ・フィッシャー、フェリックス・モットル、リヒャルト・シュトラウス、ジークフリート・ワーグナー、アントン・ザイドル
[編集] 20世紀・前半
リヒター、モットル、S・ワーグナー、カール・ムック、フランツ・ヴァイドラー、ミヒャエル・ボーリング、ヴィリバルト・ケーラー、フリッツ・ブッシュ、フランツ・フォン・ヘスリン、カール・エルメンドルフ、アルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、R・シュトラウス、ハインツ・ティーチェン、ヴィクトル・デ・サバタ、リヒャルト・クラウス、ヘルマン・アーベントロート
[編集] 20世紀・後半
ハンス・クナッパーツブッシュ、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ヨゼフ・カイルベルト、オイゲン・ヨッフム、クレメンス・クラウス、アンドレ・クリュイタンス、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、ティーチェン、エーリヒ・ラインスドルフ、ロヴロ・フォン・マタチッチ、ルドルフ・ケンペ、ロリン・マゼール、フェルディナント・ライトナー、ヨーゼフ・クリップス、カール・ベーム、トーマス・シッパーズ、オトマール・スウィトナー、ロベルト・ヘーガー、ベリスラフ・クロヴチャール、ピエール・ブーレーズ、カール・メレッシュ、クリストフ・フォン・ドホナーニ、アルベルト・エレーデ、ホルスト・シュタイン、シルヴィオ・ヴァルヴィーゾ、ハンス・ヴァーラット、ハインリヒ・ホルライザー、カルロス・クライバー、ハンス・ツェンダー、サー・コリン・デイヴィス、デニス・ラッセル・デイヴィス、エド・デ・ワールト、ヴァルデマール・ネルソン、マーク・エルダー、ダニエル・バレンボイム、ペーター・シュナイダー、ジェームズ・レヴァイン、サー・ゲオルグ・ショルティ、ジュゼッペ・シノーポリ、ミヒャエル・シェンヴァント、ドナルド・ラニクルズ、アントニオ・パッパーノ、クリストフ・エッシェンバッハ、クリスティアン・ティーレマン
[編集] 21世紀
アダム・フィッシャー、アンドリュー・デイヴィス、マルク・アルブレヒト、大植英次
[編集] 主な記録
- 初の外国人指揮者:アルトゥーロ・トスカニーニ
- 初のフランス系指揮者:アンドレ・クリュイタンス
- 初のアメリカ人指揮者&史上最年少指揮者:ロリン・マゼール
- 初の東洋人指揮者:大植英次
[編集] 音楽祭の雰囲気
ライン黄金とさまよえるオランダ人を除く全公演は夕方4時から初め、幕間の休憩は1時間とたっぷり取る。観客はほとんど正装であり、男性はタキシード、女性は派手目に着飾ったイブニングドレスがほとんどであり、観客がたむろする開演前のロビーや前庭はある意味ファッションショーと化している。特に初日は内外の政治家や芸術関係者など著名人を招待することが第1回から行われており、警備は厳戒態勢が張られる。開演は劇場バルコニーに立ったファンファーレ隊がワーグナーの楽劇から引用したファンファーレを3回(15分前、10分前、5分前)演奏して知らせる。会場は冷房の設備はなく、晴天の日はかなりの室温になる。したがって会場が暗くなると、男性は上着を脱ぐ人も目立つ。
[編集] オーケストラピット
バイロイトの大きな特徴の一つが、オーケストラピットである。オーケストラピットには大きな覆いがあり、客席からオーケストラは見えない。これはオーケストラからの直接音がないため、歌手の言葉がよく聞こえる利点と、完全な暗闇をつくれる利点がある。また歌手にオーケストラのメロディーがよく聞こえる工夫として、第一ヴァイオリンが普通とは逆の、客席から見て右側に座る。またオーケストラピットがステージの下に階段状に潜り込んでいる。観客からまったく見えないわけで、オーケストラのメンバーの服装は、Tシャツに短パンといったラフな姿だ。指揮者も終演後正装に着替えて舞台挨拶をするほど。
[編集] 海外公演
バイロイト音楽祭では、二度の海外公演を実施している。いずれも日本で、一度目は1967年にフェスティバルホールで開催された大阪国際フェスティバルでの「バイロイト・ワーグナー・フェスティバル」がそれで、オーケストラと合唱以外はすべてバイロイトのスタッフで占められていた(オーケストラ:NHK交響楽団、合唱:大阪国際フェスティバル合唱団)。
二度目は、1989年9月バイロイトでの上演が終わった後の、東急Bunkamuraでの開館公演である。この時はソリスト、コーラス&オーケストラ、スタッフも含めた、ほぼ完全に近い公演形態であった。同時に演奏会形式での公演も行われた。
1967年
- トリスタンとイゾルデ
- トリスタン:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
- イゾルデ:ビルギット・ニルソン
- マルケ王:ハンス・ホッター
- 指揮:ピエール・ブーレーズ
- 演出:ペーター・レーマン(ヴィーラント・ワーグナー原演出による)
- ワルキューレ(日本初演)
- ジークムント:ジェス・トーマス
- ジークリンデ:ヘルガ・デルネシュ
- フンディング:ゲルト・ニーンシュテット
- ブリュンヒルデ:アニア・シリア
- ヴォータン:テオ・アダム
- 指揮:トーマス・シッパーズ、ヴォルフガング・レンネルト
- 演出:ギュンター・レンネルト
1989年
- タンホイザー
- タンホイザー:リチャード・ヴァーサル
- エリーザベト:シェリル・ステューダー
- ヴォルフラム:ウォルフガング・プレンデル
- 指揮:ジュゼッペ・シノポリ
- 演出:ウォルフガング・ワーグナー
- 9月3、6、9&12日 オーチャードホール
- ローエングリン 第2幕 演奏会
- ローエングリン 第1幕前奏曲
- ローエングリン 第2幕
- ニュルンベルクのマイスタージンガー 第1幕前奏曲
- 指揮:ジュゼッペ・シノポリ
- 9月5&11日 オーチャードホール
- パルジファル 第3幕 演奏会
- ジークフリート牧歌
- さまよえるオランダ人 序曲
- パルジファル 第2幕 <演奏会形式>
- 指揮:ジュゼッペ・シノポリ
- 9月8&13日 オーチャードホール
[編集] 関連サイト
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