プテロダクティルス
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?プテロダクティルス | ||||||||||||||||||||||||
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![]() Pterodactylus kochi |
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分類 | ||||||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||||||
Pterodactylus Cuvier, 1809 |
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和名 | ||||||||||||||||||||||||
プテロダクティルス | ||||||||||||||||||||||||
種 | ||||||||||||||||||||||||
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プテロダクティルス (Pterodactylus ) はジュラ紀後期に生息していた翼指竜亜目の翼竜。世界で最も古く報告された翼竜である。テロダクティルスと表記されることもある。
学名は(πτερόν=翼・δάκτυλος=指)という意味で、前肢第4指が伸張して翼となっていることから名付けられた。ただし命名後に明らかになったことであるが、この翼が指によって支持されているという点は他の全ての翼竜にも当てはまる特徴である。
目次 |
[編集] 分布
19世紀初頭に発見された翼竜化石の多くが本属として記載されたため、その分布は一見非常に広く、北アメリカまでも含まれていた。しかしその後それらの化石の多くは詳細な研究の後ディモルフォドン・スカフォグナトゥス・ゲルマノダクティルス・ランフォリンクス・プテラノドンなど新属として再分類され、一時期の混乱は収まった。
現在のところ本属であると見なされている主な化石の産地はドイツであり、ほとんどの標本がゾルンホーフェンとその周辺から産出している。それ以外の地域では、イギリス・フランスなどヨーロッパの他の地域からも化石が報告されている。また、ヨーロッパ以外では東アフリカからの報告がある。
[編集] 概要
現在の所、最古の翼指竜亜目の一つでもある。翼指竜亜目の祖先が嘴口竜亜目であることはほぼ確実であるが、プテロダクティルスは短い尾・長い首・短縮した第5趾・伸張した中手骨・癒合した前眼窩窓と鼻孔など、すでに翼指竜亜目として完成した体制を持っており、嘴口竜亜目の特徴を伺わせる部分は既に全くない。
大きさは種によって変異がある。最小種のP. elegans では翼開長25cm程で、これは翼竜全体でも最小の部類に入るが、もっともよく出土するP. kochi で翼開長は約50cm、そして身体の一部しか発見されていないが最大種と推測されるP. grandis では翼開長は推定2.5mと、ジュラ紀で最大級の飛行動物であった。
[編集] 生態
食性は他の翼竜と同じく魚食性・虫食性などが考えられている。特に魚食は咽に咽喉嚢があることや、実際に体内に消化中の魚の一部が残された化石が発見されていることからも、多くの研究者の認めるところとなっている。また、その細長い口先をピンセットのように使い、シギ類のように岸辺でゴカイなどの無脊椎生物を漁っていたのではないかという考えもある。
非常に保存の良い化石では、前述の咽喉嚢だけでなく翼膜なども保存されている。それを見る限りでは、コウモリのように足先まで皮膜が繋がっているような翼膜ではなく、最大でも脚の大腿部あたりまでしか広がっていないようである。また、同じ化石では趾間にみずかきが確認できるとする研究者もいる。この動物が水生動物ではなく飛行動物であったことはほぼ確実であるが、餌を捕る際などに泳いだかどうかについてははっきりした結論が出ていない。
[編集] 発見史
前述の通りこの動物は世界で初めて発見された翼竜でもあり、その発見史は翼竜という生物そのものの理解の歴史と重なり合う。
この生物の化石が初めて報告されたのは1784年のことであり、ファルツ選帝侯カール・テオドールのコレクション管理を任せられていたイタリア人博物学者コジモ・アレッサンドロ・コリーニ(Cosimo Alessandro Collini) が選帝侯コレクションの中に含まれていた化石についての報告として発表している。その標本はゾルンホーフェン近くのパッペンハイムという街に住むフリードリッヒ・フェルディナント伯爵から送られた物であり、アイヒシュテート産と言われているが発見と贈与の正確な日時は不明である。コリーニはその生物が全く新しい生物であることを理解し、いくつかの点で鳥類に似ているが明らかに鳥類ではないと結論したが、詳しい分類や命名は行わなかった。
[編集] 爬虫類説
このアイヒシュテート標本の生物に命名したのはフランスのジョルジュ・キュヴィエである。彼は1801年にこの生物は長く伸びた指骨に翼膜を張って翼とし空を飛んでいた爬虫類であるという見解を発表した。1809年にはさらに詳細な論文をしたため、そのなかでこの生物に "Ptero-dactyle" という形で名前を与えている。原標本の所有者である選帝侯が家督相続の関係でマンハイムからミュンヘンに居城を移し、それに伴うコレクションの移動に伴う諸問題のため、ここまでの一連の研究でキュヴィエは一度も実際の標本を手に取ることなく、コリーニが残した論文とそこに掲載されていた詳細な銅版画のみによって研究を進めていた。
[編集] 哺乳類説
選帝侯のコレクションはミュンヘンに移るとバイエルン科学アカデミーに寄贈され、アイヒシュテート標本は科学アカデミーの博物標本管理責任者となったザームエル・トーマス・フォン・ゼメリンク(Samuel Thomas von Sömmering)によって研究されることとなった。ゼメリンクはキュヴィエの研究を知らぬまま1810年に講演という形で研究結果を発表し、その中で彼がOrnithocephalus antiquus と名付けたこの生物は哺乳類のコウモリの仲間であるという結論を表明した。1811年にキュヴィエの論文を知ったゼメリンクはその講演内容をアカデミーの紀要として1812年に掲載する際に、コリーニの説・キュヴィエの説共に批判的に論説している。しかしコウモリ説にこだわったため、キュヴィエと異なり標本を実際に調べることができた立場にいたにもかかわらず、彼の論文では上腕骨をコウモリが持つ大型の鎖骨と勘違いし、順に実際の前腕骨(尺骨と橈骨)を上腕骨に、実際の中手骨を前腕骨に、と間違えた骨格復元図が掲載されていた。
ゼメリンクと同じくこの生物は飛翔する哺乳類だと考えた人物にイギリスのエドワード・ニューマン(Edward Newman) がいる。彼の説がゼメリンクと異なるのは、翼手目(コウモリ)ではなく有袋類であると考えたことである。空を飛ぶという行動様式をとる以上、爬虫類のような変温動物ではなく活動的な恒温動物でなければならないという観点による物であり、そのため彼が1843年に発表した復元図では体毛と耳介をもって空を飛ぶプテロダクティルスが描かれている。
[編集] 鳥類説
この標本を、空を飛ぶ機能を持っているということからたいした疑問もなく鳥類に含める意見も存在した。人種の分類を確立したことでも有名なゲッチンゲン大学のヨハン・フリードリッヒ・ブルーメンバッハ(Johann Friedrich Blumenbach) はキュヴィエの発表と前後して、このアイヒシュテート標本が水鳥の化石であるという見解を提示している。
[編集] 水生生物説
上記の意見は全てプテロダクティルスは空飛ぶ生物だったという点で一致しているが、これに異を唱える説も出された。1830年、ミュンヘンのヨハン・ゲオルク・ヴァグラー(Johann Georg Wagler) はこの動物を彼が設立した新しい綱に魚竜や首長竜と共に属する水生の動物であると考えた。彼の復元によれば、前肢には翼膜がついていたのではなくペンギンやイルカのフリッパーのようになっており、それで水中を進んでいたとされた。
[編集] 現在
しかし多くの意見にもかかわらず、キュヴィエの比較解剖学を駆使した科学的結論以上の説得力のある説はとうとう現れなかった。そのため、プテロダクティルスのみならず翼竜全体についても、それが飛翔性の爬虫類であるという彼の解釈は多くの支持を勝ち取り、現在に至っている。
なお、本属の模式標本は現在ミュンヘンのBayerische Staatssammlung für Paläontologie und Geologieに保管されている。
[編集] 名称
Pterodactylus という名称は1819年にキュヴィエが自身の論文の中でアイヒシュテート標本に対して命名したPterodactylus longirostris という形で初めて公表しているが、これは国際動物命名規約 (ICZN) 上、1809年にPtero-dactyle という形で発表した物を学名の記名法に合わせるため微修正しただけと判断される。すなわちICZN 33.2 において規定されている"正当な修正名"に相当し、命名の優先権と日付は保持されるので、属名の命名年は1809年となる。そのためこの名称は1812年に文書として発表されたゼメリンクのOrnithocephalus に対して優先権を持つ。(ゼメリンクの1810年の発表は講演であったので、規約上の正式な発表は1812年となる)
しかし、1809年の時点ではキュヴィエは種に対しては命名していなかったので、種小名としてはキュヴィエが1819年に命名したlongirostris ではなく1812年ゼメリンク命名のantiquus に優先権がある。そのためプテロダクティルス属の模式種の名称はPterodactylus antiquus となり、種への命名者もゼメリンクである。現在有効とされている命名者は以下のようになっている。
- 属:Pterodactylus Cuvier, 1809
- 模式種:Pterodactylus antiquus (Sömmering, 1812)
また、世界で最も古く報告された翼竜であるためしばらくは空を飛ぶ爬虫類の代表格として扱われていたことから、英語の "pterodactyl" や日本語の「翼手竜」のように、この生物名に由来する言葉が翼竜目全体を指す専門的でない俗語的な言葉として使われている場合がある。
[編集] 関連項目
- 絶滅した動物一覧
- 翼指竜亜目(別名:プテロダクティルス亜目)
- ジョルジュ・キュヴィエ
カテゴリ: 翼竜 | 動物関連のスタブ項目