ペーター・キュルテン
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ペーター・キュルテン(Peter Kürten、1883年5月26日 - 1932年7月2日)はドイツの連続殺人犯。デュッセルドルフの吸血鬼(独:Der Vampir von Düsseldorf)という異名を持つ。強姦、暴行、殺人を行い、1929年1月から11月までのデュッセルドルフの凶行で有名。名前を英語読みし、ピーター・キュルテンとも言われる。近代シリアルキラーの原点の一つとして語られる。
1883年5月26日、13人兄弟の3人目としてミュルハイムに生まれる。家庭環境は極貧で児童虐待も日常的に行われていた。父親は大酒のみで妻に家庭内強姦を強いており、キュルテンが4歳の時には実の娘と近親姦を行ったとして1年3ヶ月の懲役刑を受けている。そのような荒れた環境の中キュルテンは軽犯罪者として成長して行き、しばしば家から逃げ出した。9歳の時、泳いでいる2人の友達を溺死させるという、初めての殺人を犯したと後に彼は言っている。1894年、家族と共にデュッセルドルフへ移住する。そこで窃盗や放火などで出入獄を繰り返す。青年期、彼は野犬捕縛者に雇われている。そこでキュルテンは、捕縛者に犬に対して自慰をさせることや、犬に対する拷問を教わる。彼の暴力的な傾向は、動物虐待から人に対する攻撃へと増幅変移していった。1913年、窃盗中に10代の少女を絞殺したのが、彼の立証される最初の犯罪である。別件で8年間刑務所にいたことから、第一次世界大戦中は彼の犯罪は中断している。1921年には刑務所を出所、アルテンブルグに移り住み、結婚。1925年、再びデュッセルドルフに戻り、彼は1930年に逮捕されるまでの犯罪凶行を始める。
1929年2月8日、キュルテンは8歳の少女を強姦し殺害する。同年2月13日、中年の機械工に対し20箇所を刺し、殺す。それから8月までは誰も襲わなかったが、凶行は再開。8月21日には別々の場所で3人を刺し、23日には5歳と14歳の姉妹を殺害、24日にも女性を刺す。同年9月には1件の強姦と殺人を、10月には2人の女性をハンマーで襲っている。同年11月7日、5歳の少女を殺害し、彼女を埋めた場所の地図を新聞社に送りつけたりもしている。犠牲者と方法が様々あることから、警察は2人以上の犯人がいるのではないかと仮定した。また90万以上もの人々が捜査線上に浮上した。
1929年11月の殺人がキュルテンの最後のそれとなる。とは言うものの、1930年2月から3月にかけても多くの人がハンマーで襲われている。1930年5月、ある少女に声をかけ、家まで連れて行く。その後グレーフェンベルクの森で強姦し、生かしたまま開放。彼女は警察へキュルテンの家を通報した。キュルテンは強姦による受刑を考慮し、警察を回避する。キュルテンは妻に今まで行った犯罪を告白し、自分を通報するよう促す。そして3月24日、妻の通報を受けた警察に逮捕された。
キュルテンは約80件の犯罪を自白。9件の殺人と7件の殺人未遂の罪で起訴される。1931年4月から裁判が行われた。当初彼は無罪を主張したものの、数週間後答弁は変化を見せた。結果、死刑の判決を受け、1932年7月2日早朝ケルンにてギロチンを用いた死刑が執行された。
1973年、手塚治虫はキュルテンの事件を題材にした短編『ペーター・キュルテンの記録』を「漫画サンデー」(実業之日本社)に発表している。また、フリッツ・ラング監督の名作「M」も、キュルテン事件をモデルにしたものと言われる。
[編集] 外部リンク
- (注)ショッキングな文面あり。
- Peter Kürten - 柳下毅一郎によるサイト内記事
- peter - +MONSTERS+サイト内記事