マッカーサー・ライン
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マッカーサー・ラインとは、第二次世界大戦直後日本を占領統治していた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の文書SCAPIN(Supreme Commander for the Allied Powers Instruction Note)第1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」によって決められた日本漁船の活動可能領域のことである。これは最終的な措置でなく、GHQによる統治の都合上設けられたものである。GHQの最高司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)名で発せられたSCAPINにより決定されたので、この名称で呼ばれることになった。マッカーサー・ラインの線引きは旧日本軍の軍管区を踏襲している。後には韓国大統領李承晩によって設定された、いわゆる李承晩ラインの元となった。
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- 1945年9月27日 日本の漁獲水域を指定(北緯45度東経145度から北緯45度30分東経145度、歯舞諸島を避けて東経150度、北緯26度東経150度、北緯26度東経123度、北緯32度東経125度、対馬を経て北緯40度東経135度、北緯45度東経140度を結ぶ線内)。
- 1946年3月22日 日本政府の行政区域を対馬、種子島、伊豆諸島までに限る(南西諸島と小笠原諸島の分離)。
- 1949年9月21日 日本の漁獲域を東へ拡張(北緯40度東経165度、北緯40度東経180度、北緯24度東経180度、北緯24度東経165度の線内)。
- 1950年5月12日 日本の漁獲水域を南へ拡大(北緯24度東経123度、赤道の東経135度、赤道の東経180度、北緯24度東経180度を結ぶ線内)。
- 1951年1月 韓国が海洋主権宣言。
- 1952年4月25日 マッカーサー・ラインを廃止。