ヤシカ
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株式会社ヤシカは、かつて日本に存在したカメラメーカー。1983年に京セラに吸収合併された。(合併比率は京セラ株1対ヤシカ株13)
精密機械及びその部品、各種カメラの光学器械、写真感光材料の製造販売が主な事業であり、そのうちカメラの販売高は昭和30年代において国内販売・輸出共に首位に立っていた。1951年頃から自社製品のカメラについて「八州(ヤシマ)のカメラ」を略称する意で、造語商標「ヤシカ」を使用してきた。1974年9月にカール・ツァイスと提携。1975年より、ライカ(35mm)サイズ一眼レフ・TTL完全自動絞り、クイックリターンミラー内蔵「コンタックス」を発売。 「コンタックス」用Carl Zeissレンズと同時に同じマウントで「ヤシカ」ブランド一眼レフとレンズを併売したが、M42マウント時代から優れたレンズを擁しており一部で神格化された感もある。しかし、商業的にはZeissの名に埋もれてしまい今や「知る人ぞ知る」ブランドとなってしまった。特にML35mm/f2.8は同じ35mmのZeissより上とする評もある銘レンズであるが中古流通価格は1万円前後であり、この辺りが趣味としてのカメラの面白い所でもある。 一部のMLレンズはZeissとの描写の差を楽しむ同レベルのレンズとも言え、対角魚眼や21㎜、55㎜/F1.2は高値で流通している。
[編集] 沿革
- 1949年 「八州精機株式会社」が長野県諏訪に設立。
- 1953年 「ピジョンフレックス」(6×6判二眼レフ)発売。同年、改良型「ヤシカフレックスB」発売。
- 1954年 世界で初めてセレン露光計内蔵の6×6判二眼レフ「ヤシカフレックスS」発売。
- 1955年 「ヤシカフレックスC」発売。
- 1958年 社名を「株式会社ヤシカ」に変更。ローライフレックス4×4(通称「グレーべービーローライ」)を模した4×4判二眼レフ「ヤシカ44」発売。ニューヨーク市場でヤシカ44が自社のデザインを盗用しているとして、ローライフレックス4×4の製造元であるフランケ・ハイデッケ有限合名会社代理店から意匠権侵害で提訴される。(双方の代理店間でアメリカ意匠権[DesignPatent]法における侵害当事者間訴訟を提訴。)
- 1959年 ローライフレックス4×4の製造元からの意匠権侵害訴訟を取り下げる旨の和解がアメリカフィラデルフィアのシェラトンホテルで3月に両社の社長同士で調印し、ヤシカはグレー仕上げヤシカ44を製造中止する条件で解決。同年、ニッカカメラを実質上合併。「ヤシカYE」レンジファインダー・フォーカルプレーン・ライカスクリュマウント・ライカ(135)サイズカメラを発売。
- 1959年~1962年 「ヤシカYF」レンジファインダー・フォーカルプレーン・ライカスクリュマウント・ライカ(135)サイズカメラを発売。(35mmと50mmと100mmの一眼式距離計付ファインダー内蔵の最高級機)
- 1960年 「ヤシカペンタマチック」(ライカサイズ一眼レフ・完全自動絞り、クイックリターンミラー内蔵)発売。
- 1966年 世界初のライカサイズ電子シャッターコンパクトカメラ「ヤシカエレクトロ35」を発売開始。
- 1975年~ ライカサイズ一眼レフ・TTL完全自動絞り、クイックリターンミラー内蔵「コンタックス」系を発売開始。
- 1979年 「コンタックス139クォーツ」発売。
- 1983年 京セラに吸収合併