ラウル・カストロ
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ラウル・カストロ・ルス(Raúl Castro Ruz、1931年6月3日 - )は、キューバの政治家・軍人・革命家。フィデル・カストロの弟でモンカダ兵営襲撃に参加、フィデル・カストロの後継者と伝えれられている。革命以前から社会主義政党であるキューバ人民党に入党するなど、兄フィデルよりも当初から共産主義に傾倒していたとされる。バティスタ独裁体制打倒のための闘争には当初から参加し、革命後は国防相に就任。革命以来、軍内での基盤が堅く、アメリカとの闘争等では兄よりも強硬派とされている。1962年のキューバ危機では最後まで強硬論を兄に進言し続けていた。チェ・ゲバラが65年にキューバを去った遠因に、ラウルとの確執があったとの見方もある。(ゲバラをフィデル・カストロに引き合わせたのは彼である)65年のキューバ共産党結成以来、ナンバー2の第2書記を務める。76年の現憲法制定で国家評議会第一副議長。86年に兄は初めて「後継者はラウル」と明言。94年7月26日の革命記念日で兄に代わって初めて演説を行った(ただし、カリスマ性では兄に遠く及ばないといわれる)。その後97年の党大会で正式に後継者に指名された。近年はかつては激しく対立した中国との関係改善を進め、自らも代表団を率い訪中。
現在、キューバ共和国国家評議会第1副議長、閣僚評議会第一副議長(第1副首相)、キューバ共産党中央委員会第2書記を務めている。近年はスーツを着用することも多い兄とは違い、人民権力全国会議(国会)等の公の場では一貫して軍服姿を通している。
2006年7月31日、兄フィデルが腸の手術を受けたために、その権限が数週間、ラウルに委譲されると発表された。
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