下柳剛
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下柳 剛(しもやなぎ つよし、1968年5月16日 - )は、日本で活躍するプロ野球選手(投手)。身長185cm・体重90kg。(サイズ等は現在の公表では、身長184cm、体重95kg) 長崎県長崎市出身。八幡大学(現在は九州国際大学)中退、新日鉄君津を経て、ダイエーへ。左投げ左打ち。背番号は42番。若手時代は直球しか放らないほどの剛速球投手であったが、阪神移籍後は、打てそうで打てない球で内野ゴロの山を築いていく(そして気づいたら試合終盤になってしまう)という投球パターンに変えた。相手チームにとっては実にやりにくい投手で、2005年には最多勝のタイトルを獲得。その投球術は老獪という言葉が最も似合い、「のらりくらり投法」とも呼ばれる。
現在の阪神において、同年齢の金本知憲や矢野輝弘と共にチームの精神的支柱と言うべきベテラン選手となっている。
中日ドラゴンズコーチの奈良原浩と生年月日が同じ。ドラフトでも同期、同じくパリーグの球団でプロ野球生活開始、プロ野球選手として所属した2球団目が日本ハム、同じく日本ハムからセリーグ移籍し移籍1年目にリーグ優勝に貢献し日本シリーズでは古巣と対戦と、この2人は共通点が多い。
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[編集] 来歴・人物
- 新人時代の選手名鑑の「思い出」の項目に「あまり嬉しい思い出も悔しい思い出もない」と書いていた。飄々とした淡白な性格は新人時代からのようである。
- 元々は速球派投手であったが制球力に難があった。これをダイエー時代の根本陸夫監督や権藤博投手コーチは「毎日バッティングピッチャー、毎日中継ぎ登板」という過酷な投げ込みで克服させた。そこから鉄腕と呼ばれ、ダイエー時代のニックネームはその鉄腕ぶりから「アイアン・ホーク」のニックネームが本人の応援歌の歌詞にも取り入れられていた。
- 髭はめったにそらず、風呂には数日入らなくても平気というかなりの不精な性格であり、ダイエー時代の同僚だった潔癖症の内山智之とは仲が悪かった(髭は剃ると炎症をおこすためそれないからという説もある)。
もっとも、これは「投手の肩は消耗品」が口癖であった権藤コーチから「あいつはいくら放っても壊れないから」ということで毎日のようにロングリリーフをさせられ、家に帰ったら疲れ果てて何もする気がなくなったことが由来である。
- そんな風貌を見てオリックス吉井理人投手は「変わった奴っちゃな」とテレビ解説の席で評している。
- 日本ハム時代の1997年には1試合に先発した以外は全てリリーフのみの起用で、規定投球回数に達してしまったことがある。同年以降、3年連続60試合登板を記録するなど中継ぎ投手として活躍も、チーム事情から2000年以降先発に転向する。
- シャイな性格のためか、お立ち台に上がるのを拒否する事が多い(自分がお立ち台に呼ばれそうなのを察知すると姿をくらませることもある)。
そのためチーム内では下柳をお立ち台に上げようという動きがあり、2005年6月10日の日本ハム戦でチームメイトの金本知憲がお立ち台に上がった時には「明日は下柳が登板するので何としてもお立ち台に上げます。」と言ったこともある(そのせいか次の日の日ハム戦では初回から大炎上し敗戦投手になった)。 - 2005年9月21日の中日戦で、第38号本塁打を放った金本と6回無失点で13勝目を挙げた下柳という組み合わせのお立ち台インタビューが実現した(岡田監督による命令との事。ちなみに下柳は同シーズン2度目のお立ち台)。その際、下柳はインタビュアーの「今日のピッチング、いかがでしたか?」、また「マウンドを降りてベンチからJFKをどのようにご覧になっていましたか?」との質問に「勝てたら良いなと思ってました。」と答え、金本はその発言をその場で捩り、インタビュアーの「あの打席、ホームランは頭にあったんですか?」という質問に「打てたら良いなと思っていました。」と発言し、ファンを沸かせた。
- しかしシャイでありながら実は非常に熱い性格でもあり、味方のエラーなどにはよく怒号を飛ばす。また自身が降板した後もベンチに残り、率先して声を出してナインを鼓舞する姿がよく見られる。(同僚の金本知憲が優勝エピソードとして報知スポーツにばらされた)
- オフにはなぜか活発にテレビ出演をしている。実際はかなりひょうきんな性格で、飲み会では伊良部秀輝や広澤克実とトリオ漫談をすることもあったという。
- 年明けの自主トレでは、桜庭和志らとともに総合格闘技式のトレーニングに励む(かつては自衛隊でもトレーニングをしていた)。
2003年・2005年の優勝時のビール掛けではオープンフィンガーグローブを装着して藤本敦士ら後輩に腕ひしぎ十字固めを仕掛けていた。またプロレスラーの高山善廣は親友。 - 現在独身で、東京の自宅ではラガー(黒のラブラドール)とルビーという名前の犬を飼っている。
- 島田紳助によると、島崎和歌子と見合いをしたらしい。しかし島崎が出来上がってしまったため破談となった。またテレビ番組で「彼女と別れた」とバラされるなど身辺はにぎやかである。
2005年バレンタインのチョコの数も赤星憲広・鳥谷敬(注・鳥谷は2005年末結婚した)の若手独身選手に続く3位と、人気は非常に高い。
- 親友の高山同様、ダンカンや松村邦洋らがいることで有名な中野猛虎会の会員である。何と日本ハム時代から会員だった。
- ダンカンによると、背番号「24」に対して強いこだわりがあるらしい。しかし、阪神では生え抜きで中心打者の桧山進次郎が24番を背負っているため、数字を逆にした「42」番を背負っているという噂もある(通常、背番号42は「死に番」として日本人選手には敬遠され、外国人選手が付ける場合が多い)。
- 日本ハム時代の後輩・金村曉が監督批判を行い出場停止となった際、同じく日本ハム時代からの同僚・片岡篤史と共に金村を呼び出し、「オレはお前にそんな事を教えたか!」と怒鳴り、愛のムチを与えた。しかし最後には「シリーズ頑張れよ」と弟子である金村を励ました。
- 瓊浦高校には下柳が作った「下柳マウンド」が存在する。
- 好物は芋焼酎のお湯割り。
- 2006年11月23日、長崎県の「ブランド大使」に任命された。
- 格闘家の桜庭和志は親友であり、2006年12月31日に催されたFields K-1 Premium2006 Dynamite!!ではオレンジ色の胴衣を纏ってタイガーマスクを被り、桜庭と共に登場。2人とも右脚から踏み出すというサプライズを起こした。尚、この時は桜庭のセコンドに付いた。
[編集] 経歴
- 瓊浦高等学校から、高校野球の指導者を目指して八幡大(現:九州国際大)に進学するも、1年で中退。しばらくは仕事をせずバイクを乗り回す生活が続いてたが、恩師の紹介で新日鐵君津に入社し、エースとして都市対抗野球初出場に貢献。予選全試合を1人で投げ抜き、試合で完投した後でも平然と200球近くの投げ込みを行なうなど、この当時からタフネスぶりの片鱗を見せていた。
- 1990年にドラフト4位でダイエーに入団。1993年に50試合、1994年に62試合に登板し、連日のように登板をこなす鉄腕投手として活躍したが、1995年のシーズン中に交通事故(自損事故)を起こして鼻骨骨折等の負傷、これが原因でシーズンを棒に振り、その年のオフに1996年に武田一浩(※)・松田慎司との交換トレードで、安田秀之とともに日本ハムに移籍。
(※)武田は戦力外を告げられており、トレード不成立なら自由契約となることが決まっていた。しかも中日相手に先にトレードの話を持っていったが、下柳よりも格下の相手を要求し断られた上で、次いでダイエーに話が来た結果であるとも言われる(ダイエー側は強気に出ることのできる立場にすらあった)。当時の下柳はダイエーの顔とも言える人気選手であり、あまりに不自然で不釣り合いなトレード成立であった。
- 1997年には当時216打席連続無三振を続けていたオリックスのイチローを三振に打ち取り、「イチローキラー」と話題になる。同年から1999年まで3年連続60試合登板を記録。2000年8月26日、古巣であるダイエーを相手にプロ初完封勝利。プロ10年目にして初の完封勝利であった。シーズンオフには、日本人選手としては初めて代理人交渉を行った。
- 2003年、山田勝彦、伊達昌司との複数トレードで中村豊と共に阪神に移籍。移籍当初は中継ぎで起用されると思われたが先発に専念。同年に10勝を挙げ、リーグ優勝に貢献した。
- 2003年オフ、FA宣言。阪神が残留要請を行ったほか、横浜も獲得に名乗りをあげるが、阪神若手投手陣を中心に「残留コール」を受けたことを条件に阪神残留する。後に「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)に出演した際、争奪戦に必死だった阪神と横浜の両球団の間では自分に対する待遇の話はほとんどなく、ラガー君の待遇条件の出し合いばかりが行われてしまったので「契約交渉というよりラガー君争奪戦だった」と苦笑しながら明かした。
- 阪神移籍後は抜群の制球力で相手打者を「のらりくらり」とかわす技巧派のピッチングを見せ、2005年10月5日のシーズン最終戦で自身初となる10回を完投し、37歳にして自己最多の15勝をマーク(10回裏、鳥谷敬のサヨナラホームランで勝利)。初タイトルとなる最多勝を獲得したが、これは阪神往年のエース・若林忠志の36歳を更新する史上最年長最多勝投手となった。また、規定投球回数未満での最多勝獲得は、1988年の伊東昭光(ヤクルト)以来史上2人目。
- 特に巨人戦と広島戦にはめっぽう強く、巨人戦で下柳が先発登板した試合でチームは目下15勝3敗(うち下柳自身は8勝2敗)、勝率.833と相性の良さを見せつけている。(古巣日本ハムの本拠地であった東京ドームでは特に相性がいい)また、広島には偶然にも下柳の反骨精神に触れるようなものが非常に多く、今年は敵将の名前がブラウンで大手髭剃りメーカーの名前と同じなので「(トレードマークの髭を)剃られてたまるかという反骨精神が下柳に粘投をもたらした」などとスポーツ紙に報じられ、去年も「ミッキー君(広島のボールドッグ)が愛犬家の下柳に大きな刺激を与えた」などと報じられた。科学的根拠はないが、下柳にとって広島市民球場は発奮材料が多い球場であることは確かである。
- なぜか1000奪三振、1000回投球など節目の記録は、すべて広島市民球場で達成している。2005年8月25日の広島戦でマイク・ロマノ投手を三振にとり、1000奪三振を達成した。また、15勝を挙げる活躍で、最多勝を獲得(広島の黒田博樹と同時受賞)し、2年ぶりの優勝の立役者になる。2006年4月5日には同球場で通算500試合登板を達成。持ち味を如何なく発揮して6回無失点と好投、チームも投打が噛み合い下柳らしい形で勝利投手になった。
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時点)
年 | 所属 | 球団 | 登板 | 完投 | 完了 | 当初 | 完封 | 勝 | 敗 | S | 勝率 | 打者 | 投回 | 被安 | 被本 | 与四 | 与死 | 奪三 | 失点 | 自責 | 防率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
91 | ダ | 24 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 7 | 0.2 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 4 | 4 | 54.00 |
93 | 50 | 1 | 18 | 9 | 0 | 4 | 8 | 5 | .333 | 423 | 98 | 92 | 10 | 55 | 1 | 69 | 49 | 45 | 4.13 | ||
94 | 62 | 0 | 21 | 1 | 0 | 11 | 5 | 4 | .688 | 473 | 105.2 | 111 | 5 | 53 | 2 | 89 | 54 | 53 | 4.51 | ||
95 | 24 | 1 | 4 | 4 | 0 | 2 | 3 | 0 | .400 | 202 | 46.2 | 47 | 2 | 18 | 2 | 26 | 24 | 21 | 4.05 | ||
96 | 日 | 11 | 23 | 0 | 12 | 0 | 0 | 1 | 2 | 2 | .333 | 181 | 43 | 32 | 3 | 20 | 0 | 39 | 19 | 18 | 3.77 |
97 | 24 | 65 | 0 | 12 | 1 | 0 | 9 | 4 | 0 | .692 | 630 | 147 | 140 | 13 | 62 | 6 | 136 | 61 | 57 | 3.49 | |
98 | 66 | 0 | 17 | 1 | 0 | 2 | 3 | 5 | .400 | 400 | 93.2 | 74 | 8 | 47 | 3 | 71 | 37 | 32 | 3.07 | ||
99 | 62 | 0 | 18 | 2 | 0 | 1 | 4 | 6 | .200 | 332 | 77.1 | 62 | 9 | 47 | 2 | 79 | 31 | 31 | 3.61 | ||
00 | 36 | 3 | 6 | 8 | 1 | 8 | 4 | 0 | .667 | 403 | 93.2 | 79 | 11 | 49 | 2 | 82 | 50 | 47 | 4.52 | ||
01 | 21 | 3 | 0 | 18 | 1 | 9 | 8 | 0 | .529 | 529 | 121 | 114 | 24 | 50 | 9 | 89 | 73 | 68 | 5.06 | ||
02 | 17 | 0 | 2 | 9 | 0 | 2 | 7 | 0 | .222 | 228 | 51.2 | 49 | 10 | 25 | 4 | 44 | 34 | 33 | 5.75 | ||
03 | 神 | 42 | 26 | 3 | 0 | 21 | 1 | 10 | 5 | 0 | .667 | 573 | 137.2 | 138 | 20 | 25 | 7 | 135 | 63 | 57 | 3.73 |
04 | 22 | 0 | 0 | 21 | 0 | 7 | 5 | 0 | .583 | 513 | 116 | 143 | 13 | 28 | 10 | 76 | 68 | 66 | 5.12 | ||
05 | 24 | 1 | 0 | 23 | 0 | 15 | 3 | 0 | .833 | 531 | 132.1 | 125 | 11 | 25 | 6 | 90 | 44 | 44 | 2.99 | ||
06 | 25 | 1 | 0 | 24 | 0 | 12 | 11 | 0 | .522 | 642 | 150.1 | 154 | 11 | 55 | 9 | 86 | 61 | 53 | 3.17 | ||
通算 | 524 | 13 | 110 | 142 | 3 | 93 | 72 | 22 | .564 | 6067 | 1414.2 | 1361 | 150 | 563 | 63 | 1111 | 672 | 629 | 4.00 |
※太字はリーグ最高。
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[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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