中平卓馬
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中平卓馬(なかひら たくま、1938年-)は日本の写真家、写真評論家。
写真家として1960後半から70年代にかけて活躍したが、1977年アルコールによる昏睡状態に陥り、言語、記憶の一部を失う。その後、再び写真を撮り始める。
中平は饒舌な写真家だった。写真を撮りつつ、そのバックボーンとなる思想をこれほど語り尽くした作家はいないだろう。その中で「写真を撮ることで自己の解体・再生を目指す」という理論にたどり着くが、その言葉は自分の作家活動を縛り上げ、次第にスランプに陥っていく。1977年のアクシデントにより、記憶と言葉を失うことで自縄自縛状態を脱し、より一層写真の本質を問うような作品を撮り続けている。
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[編集] 経歴
- 1938年、東京生まれ。
- 1963年、東京外国語大学スペイン科卒業。同年、雑誌「現代の眼」編集部に入社。
- 1965年、編集部を退社し、写真家へ。東松照明、寺山修司、森山大道などと親交を深める。
- 1968年、高梨豊、岡田隆彦、多木浩二らと共に、写真同人誌「Provoke」創刊。
- 1969年、第6回「パリ青年ビエンナーレ」に出品。
- 1970年、「プロヴォーク」解散。
- 1971年、第7回「パリ青年ビエンナーレ」に参加。
- 1971年、マッド・アマノ裁判でアマノを支援する文章を発表。
- 1973年、映像評論集『なぜ、植物図鑑か』(晶文社)刊行。
- 1973年、「15人の写真家展」東京国立近代美術館(東京都)に「氾濫」を出品。
- 1973年、殺人罪に問われた青年を支援するため沖縄を初めて訪れる。
- 1977年、9月11日未明、酔いつぶれて昏睡状態に陥り、意識回復後、言語、記憶の一部を失う。
- 2003年、横浜美術館で初の本格的な個展「中平卓馬展 原点復帰—横浜」を開催。
[編集] 著作
[編集] 写真集
- 「来たるべき言葉のために」(風土社、1970年)
- 「新たなる凝視」(晶文社、1983年)
- 「ADIEU A X(アデュウ ア エックス)」(河出書房新社、1989年)ISBN 9784309261119
- 新装版(2006年)ISBN 9784309268736
- 「日本の写真家 (36) 中平卓馬」(岩波書店、1999年)ISBN 9784000083768
- 『NAKAHIRA Takuma hysteric Six』(ヒステリック・グラマー、2002年)
- 「原点復帰—横浜」(オシリス、2003年)ISBN 9784990123918(上記横浜美術館での個展のカタログ)
[編集] 評論集
- 「なぜ、植物図鑑か」(晶文社、1973年)
- 「決闘写真論」(篠山紀信と共著)(朝日新聞社、1977年)
- (朝日文庫版、1995年)ISBN 9784022610850
[編集] 参考図書
- 「なぜ未だ「プロヴォーク」か—森山大道、中平卓馬、荒木経惟の登場」(西井一夫、青弓社、1996年)ISBN 9784787270627
- 「きわめてよいふうけい—SHORT HOPE」(ホンマタカシ、リトルモア、2004年)ISBN 9784898151235