久間章生
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生年月日 | 1940年12月4日 |
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出生地 | 長崎県南島原市 |
出身校 | 東京大学法学部卒業 |
学位・資格 | 学士 |
前職・院外役職(現在) | 農林水産省職員 長崎県議会議員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
防衛大臣 |
世襲の有無 | 世襲ではない |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
長崎2区 |
当選回数 | 9回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(津島派) |
党役職(現在) | 前・総務会長 |
会館部屋番号 | 衆・第二議員会館708号室 |
ウェブサイト | 衆議院議員 長崎県第二区 久間章生 |
久間 章生(きゅうま ふみお、1940年12月4日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。長崎県南島原市出身。農林水産省入省後、衆議院議員選挙に出馬、自由民主党幹事長代理、自由民主党総務会長などを歴任。第2次橋本内閣で防衛庁長官に起用され、2006年9月には安倍内閣にも防衛庁長官として入閣したが、2007年1月9日防衛庁が省に昇格したため、現在は防衛大臣。保有する段位は剣道六段、将棋六段、囲碁五段。
目次 |
[編集] 概説
小泉政権下で同じ派閥の野中広務や綿貫民輔が反小泉の姿勢を採って没落する中、衆議院議員ながら額賀福志郎らと共に親小泉参議院の実力者青木幹雄と共同歩調をとり衆院平成研究会の大幹部となった。 2005年6月28日、自由民主党総務会では郵政民営化法案の決議において総務会長として議事を担当し、全会一致の慣例を破る形で多数決で採決した。 2006年9月、安倍晋三内閣で防衛庁長官として再入閣。これは津島派内に待望論のあった額賀福志郎の出馬についていち早く否定し、出馬辞退の流れを作った久間への論功行賞であるとの見方がある。
[編集] 政治姿勢
[編集] イラク戦争
- 2006年12月8日(真珠湾奇襲の日)の午前の記者会見で、前日(12月7日)の参院外交防衛委員会において「小泉純一郎前首相がイラク戦争を支持したのは非公式」とした自らの発言について「不勉強で間違いだった」と訂正し、撤回した。内閣総理大臣(当時)小泉は開戦時に緊急記者会見して「武力行使を理解し、支持する」と表明、首相談話も閣議決定していた。なお、上記の訂正記者会見においても、久間自身はイラク戦争を支持しないことを明言している。防衛庁長官を2回務めた政治家であるが、イラク戦争についてはハト派的な外交防衛認識の持ち主である。
- 2007年1月25日には、日本記者クラブの会見で「イラクに大量破壊兵器があると決め付けて戦争に踏み切ったブッシュ大統領の判断は間違いだった」と述べた。イラク戦争を支持している安倍内閣として、久間の発言による閣内不一致を指摘する声が上がったが、内閣官房長官塩崎恭久は「久間氏の個人的な、閣僚としてではなくいち政治家としての意見であり、閣内不一致ではない」と強調した。政権側は大統領批判ではないと釈明した。29日午後衆議院本会議で民主党の松本剛明にこの点を追求された本人は「(開戦)当時、閣外にあって感じた感想として述べたもので、防衛相として(米国支持の)政府の立場を支持している」と釈明した。
- 同年2月22日の衆議院安全保障委員会では、「閣僚は他国にどういう形で伝わるかも計算した上で言わなくてはならない。(ブッシュ大統領の)教書演説が発表された日に、そう言ったこと自体が配慮に欠けていた。反省している」と答弁した。
- この発言については米国から日米同盟を損なうという抗議が来たほか、米国務省のズムワルト日本部長は「大統領を批判するような発言が繰り返されれば、日米安全保障協議委員会(2プラス2)の日程設定が困難になりかねない」と批判。米国は日米安全保障協議委員会の開催に当分応じない見込みと報じられた。神浦元彰は外務省が米国の意向を先回りして、そのように伝えたのではないかとする説を出した(「最新情報 「読売記者に 機密漏洩」の部分」)。
- 一方で、「既に明らかになりブッシュ大統領も認めているが、開戦の大義であった大量破壊兵器はイラクには存在しなかった。(それなのにイラク戦争を批判したところで)そのことで米側から抗議を受けるものだとはとても思えない」(「沖縄タイムス社説 2007.1.29」)などの反論もある。
- 自民党内では、加藤紘一が久間を擁護し、「なぜ批判を受けなければならないのか。(イラク戦争開戦の誤りは)世界の常識だ」と政府側に詰め寄ったという(「久間防衛相:普天間巡る「反米的発言」が波紋広げる」)。
[編集] 沖縄米軍基地
イラク戦争については米国を批判したが、他方在日米軍については、米国に協力的であった。しかし2007年に入り、「アメリカは沖縄の人々の気持ちを理解してくれていない」と米国の意に反する発言をしたため、来日したチェイニー副大統領との会談を拒否される事態となった。チェイニーは自衛隊の最高責任者である久間を無視して、自衛官(制服組)トップの齋藤隆統合幕僚長を始めとする自衛官幹部と会談した。
- 2006年10月、沖縄県の米軍嘉手納基地に、米軍が地対空誘導弾パトリオット(PAC-3)配備を強行した。久間は11月7日の衆議院安全保障委員会の答弁で「今朝鮮がミサイルの実験をやった、核実験をやった、そういう中で、パトリオットをせめて沖縄に配備しておかなければいかぬ(中略)我々としては素直に、これは、日本の防衛の中で手薄である沖縄については、せめて嘉手納を、自分の基地があるわけだから、そこについてはアメリカが責任を持って防御しましょうということでまずやってくれたということは、私は歓迎すべきことじゃないかなと思う」と述べた。沖縄では基地機能の強化・新たな負担増・格好の軍事標的にされるなどの理由で反対が強く、久間の発言は反発を受けた。
- 11月19日投開票された沖縄県知事選では、与党推薦の仲井眞弘多が当選し、米軍普天間基地の県内移設に反対する糸数慶子を破った。共同通信によると、久間は11月23日、長崎市内で開かれた自民党議員らの会合で、もしも糸数が当選していた場合、「法律を作ってでも、一方的に県知事の(公有水面の)使用権限を国に移してでも、やらなければいけないと考えていた。もし負けたら、力づくででもこっちはやるんだという腹を持っていた」と述べた。基地移設には埋め立てが必要で、そのためには公有水面埋立法に基づき知事の許可が必要である。移設反対派が勝った場合、強硬手段によって(『読売新聞』11月24日号によると、特別措置法を制定し、知事の許認可権を政府に移す予定であった)ことを進める方針だったのである。
- 2007年1月27日、長崎県諫早市での講演で普天間飛行場移設問題に触れ、「私は米国に『あんまり偉そうにいってくれるな。日本のことは日本に任せてくれ』といっている」と発言した。さらに、アメリカが推進する沿岸案実現には沖縄県知事の公有水面埋立許可が必要であることを念頭にしてか、「米国は『政府同士が決めたのだから、それでやったらいいじゃないか』というが、日本はけっこう地方分権になっている」、「仲井眞弘多沖縄県知事の意見も聞き入れながらやっていかなければならないが、米国は根回しがわからない」と発言した(Yahoo! ニュース)。塩崎恭久内閣官房長官はこの発言について「問題があれば注意する」と述べた。
- 米国側は「当方も海兵隊を説得するのが大変だった。話し合って合意した政府間の取り決めは守ってくれねば困る」と不快感を表明している。
- 天木直人は、久間の頭越しに自衛官幹部との接触を表明したチェイニー及び米国の対応はシビリアンコントロールに反しており、外務省はこのような日程を断じて認めてはならないと批判した(「チェイニー副大統領の訪日報道から目を話してはならない」)。しかし、訪日したチェイニーは、予定通り自衛官幹部のみと懇談した。
[編集] 不祥事
[編集] 雀荘への事務所設置問題
[編集] 違法献金受領問題
- 2007年3月7日、参議院予算委員会での参議院議員井上哲士(日本共産党)の質問により、久間が医療法人から違法献金を受け取っている疑惑が発覚した[2][3][4]。
- 日本共産党、厚生労働省、政治資金収支報告書などによると、久間が代表の自由民主党長崎県第二選挙区支部は、2004年11月に8500万円超の補助金交付決定を受けた医療法人から、2004年11月~2005年10月に献金を受け取っていた。政治資金規正法第22条の3には「国から補助金(中略)を受けた会社その他の法人は、当該給付金の交付の決定の通知を受けた日から同日後一年を経過する日(中略)までの間、政治活動に関する寄附をしてはならない」との規定があり、上記献金がこの規定に違反すると指摘されている。
- 2007年3月7日の参議院予算委員会にて、久間は医療法人が補助金を受けている事実を知らなかったとし、「(政治資金規正法の)制度については存じている」「(献金を受けていることは)事実であります」「もし補助金を受けているとすれば返還しなければならない」と答弁し、返金を検討することを明らかにした。
[編集] 経歴
- 1959年3月 長崎県立口加高等学校卒業。
- 1964年3月 東京大学法学部政治コース卒業。
- 1964年4月 農林水産省入省。
- 1971年4月 長崎県議会議員に当選。以後3期9年間を勤める。
- 1980年5月 長崎1区より衆議院議員総選挙に再出馬し、初当選。
- 1987年11月 運輸政務次官に就任。
- 1994年1月 自民党国会対策副委員長の就任。
- 1996年1月 自民党副幹事長に就任。
- 1997年11月 第2次橋本内閣防衛庁長官に就任。
- 2003年9月 自民党幹事長代理に就任。
- 2004年9月 自民党総務会長に就任。
- 2005年10月 自民党総務会長に留任。
- 2006年9月 安倍内閣防衛庁長官に就任。(2回目の就任)
- 2007年1月 防衛省発足に伴い、初代防衛大臣に就任。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 「辞任した佐田行革大臣より悪質!『雀荘』と『元秘書の自宅』が久間防衛大臣の『政治団体事務所』だった」『週刊新潮』52巻4号、新潮社、2007年2月1日、26-29頁。
- ^ 「参議院インターネット審議中継」参議院、2007年。
- ^ 「補助金受けた法人首相ら4人に献金」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2007年3月8日、43面。
- ^ 「自民支部に違法献金か共産指摘安倍・久間氏ら代表」『朝日新聞』43428号、朝日新聞社東京本社、2007年3月8日、39面。
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