井戸良弘
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井戸良弘(いどよしひろ、天文元年(1532年) - 慶長17年(1612年))は戦国時代の武将。井戸覚弘の子。室は筒井順慶の娘。才助。若狭守。井戸城城主。
大和国の国人領主の一人として筒井氏に仕えていたが、永禄年間には松永久秀のため居城井戸城を攻め落とされるなど苦戦した。のちに井戸城を息子の井戸覚弘に譲って、自らは織田信長に仕える。数々の戦功により山城国填島二万石を任された。
しかし1582年、本能寺の変の後に起こった山崎の戦いで羽柴軍に与さなかった為に改易されてしまう。
関ヶ原の戦いでは、東軍の細川幽斎の元につき、丹波国田辺城で西軍の小野木重勝軍を相手に篭城。
戦後は大和国に戻り、余生を過ごした。
なお、井戸氏にはこの良弘の子孫で同じく良弘と名乗った人物が数名存在する。