代理母出産
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代理母出産(だいりははしゅっさん、だいりぼしゅっさん)とは、「ある女性が別の女性に子供を引き渡す目的で妊娠・出産すること」 (Warnock Commitee 1984-1991) 。その出産を行う女性を代理母という。代理出産と略されることもある。また、妊娠するという部分を強調して代理懐胎と表す場合もある。
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[編集] 現状
代理母出産については、生殖補助医療の進展を受けて日本産科婦人科学会が1983年10月に決定した会告([1])により、自主規制が行われているため、国内では原則として実施されていない。しかし、代理母出産をそのものを規制する法制度は現在まで未整備となっている。
この制度の不備を突く形で、諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘院長が、国内初の代理母出産を実施し、2001年5月にこれを公表した。また、タレントの向井亜紀が国内の自主規制を避ける形で海外での代理母出産を依頼することを大々的に公表し、これを実行した。そして、これらの事件により、代理母出産は、その是非も含めて社会的な注目を集めることとなった。
このような状況を受け、厚生労働省及び日本産科婦人科学会は対応策の検討に乗り出したが、その結論は代理母出産を認めないというものであった(厚生労働省の審議会(厚生科学審議会生殖補助医療部会)が2003年にとりまとめた『精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書』及び日本産科婦人科学会の会告[2])。これは、主に妊娠・出産に対するリスクの問題を軽視していること(下記の節を参照)等をその理由としている。
しかしながら、厚生労働省は上記報告書の法制化を公表したにもかかわらずこれを実現できず、また、日本産科婦人科学会の会告は同会の単なる見解に過ぎず強制力を持たないため、代理母出産の実施に歯止めをかけることはできなかった。そうした中、向井亜紀と高田延彦夫妻が2003年に代理母出産によって得た子供を戸籍上実子として扱うよう求めたが、東京都品川区は出生届を受理せず、夫妻側は処分取り消しを東京家裁に申し立てたが2005年11月に却下され、即時抗告し、2006年9月に東京高裁で、1審の決定を取り消し、品川区に出生届を受理するように命じた決定が下された(但し、2007年3月23日の最高裁決定により、この東京高裁決定は破棄されている)ことや、同年10月に根津八紘医師が特殊な代理母出産(年老いた母親に女性ホルモンを投与し娘のための代理母にした、というケース[3]、[4])を実施したことを公表したことにより、それまでも事例の積み重ねにより徐々に認知度を高めていた代理母出産が、再度社会的な注目を集めることとなった。
なお、代理母出産に係る事態を収拾できなくなった厚生労働省及び法務省は、2006年11月30日、日本学術会議に代理母出産の是非についての審議を行うよう依頼([5])を行い、2007年2月現在、同会議が審議を継続しているところである。しかし、その間にも、日本弁護士連合会が代理母出産を禁止すべきという2000年の提言の補充提言を発表([6])したり、根津八紘医師が代理母出産の法制化に向けた私案を公表([7])するなど、事態は混迷の様相を深めている。
[編集] 種類
代理母出産には以下のケースがあり、従来は卵子提供者が誰かによって呼び分けられていたが、「借り腹」にネガティブな印象があることから、現在は全て「代理母」と呼ばれている。
- Gestational Surrogacy … 代理母とは遺伝的につながりの無い受精卵を子宮に入れ、出産する。借り腹。ホストマザー。
- Traditional Surrogacy … 夫の精子(もしくは精子バンク)を使用して代理母が人工授精を行い、出産する。代理母。サロゲートマザー。
- 病気による子宮摘出などで妊娠できなくなった娘夫婦の受精卵を娘の母親の子宮に移して母親が出産することもあり、日本でも少数ながら実例もある。
[編集] 代理母出産への批判等
代理母出産の論点については、日本産科婦人科学会の吉村医師と諏訪マタニティークリニックの根津医師のそれぞれが見解を示している次のWebページに詳しい。
[編集] 各種の批判
- 人間に許される行為ではないという意見
- 女性蔑視を助長するのではないかという意見- 代理母出産を「女性を子供を産む機関として扱っている」として批判する意見もある。
- 母性本能を軽視しているという意見 - 代理母が子の引き渡しを拒否する事件が起きている(ベビーM事件)。
- 妊娠・出産に対するリスクを軽視しているという意見 - 先進国においても妊産婦死亡がゼロになっていないことからも明白なとおり、妊娠・出産には最悪の場合死亡に至るリスク(帝王切開を必要とする異常妊娠や妊娠高血圧症候群等に伴うハイリスク分娩、産褥期の感染症などに由来する。【参考】)がある。また、死亡に至らずとも母体に大きな障害が発生する場合もある。そして、このようなリスクを軽視し、それらを代理母に負わせることに対する倫理面からの批判がある。なお、出産時に母体に障害が発生した場合について、代理母側に不利な条件での契約がなされていることもある。
- 障害者差別を助長するという意見 - 妊娠時の羊水染色体検査が義務づけられており、障害がみつかった場合は強制的に中絶させられることが多い。また、障害児が生まれた場合、依頼者が受け取りを拒否する事件も起きている。さらに、成功率向上の必要もあって、受精卵を子宮に戻す前に、問題のある受精卵を排除するための着床前診断が行われている場合もある。
- 人種差別を助長するという意見 - 米国においては、代理母として同一人種・同一民族・同一国籍の女性を求める傾向があるため、(依頼人に多い)白人に需要があつまり、黒人女性が代理母をつとめる場合よりも白人女性が代理母をつとめる場合の方が契約金が高額である。代理母出産を批判するグループは、この現象が黒人差別を助長すると主張している。
- 民法上の扱い - 現在の日本の最高裁判例においては、「母子関係は分娩の事実により発生する」(最高裁判所第二小法廷昭和37年4月27日判決、昭和35年(オ)第1189号 親子関係存在確認請求事件、民集16巻7号1247頁)との判断が示されており、遺伝子上は他者の子であっても代理母の子として扱われる。このため、代理母と子との間で相続上の問題が発生することが懸念されている。遺伝子上の親を実親として認めさせようという動きもあるが、生まれた子が依頼者・受託者双方と遺伝子上のつながりを持たないケース(上記1-4)があり、単純に遺伝子的なつながりのみで親子関係を確定することはできない。
[編集] 批判への反論
- 「人間に許される範囲を超えている」という指摘もあるが、どこまでが「人間に許されること」なのかを一義的に決定することは難しいのではないかという反論もある。例えば夫婦ともに健康で通常の妊娠出産が可能であるのに代理母出産での生殖を行う場合と、子宮癌など生死に関わる病気を患い、代理母出産の可能性だけを生きる望みとして闘病生活を乗り越えてきた女性が代理母出産での生殖を行う場合では、倫理面で同じ基準を適用しうるかどうか。
- 多くの批判は「このような事例もある」という、個々の事例の問題を持ち出して、代理母出産の全てがそういった問題を引きおこすかのような議論を行っているのではないかという批判がある。
- 母性本能を軽視しているという意見については、ベビーM事件が論拠であるが、全ての代理母が生まれた子供の引き渡しを拒否するわけではない。
- 妊娠・出産に対するリスクを軽視しているという意見については、出産時の障害等に係る契約が代理母に不利であることが根拠であるが、全ての代理母が不利な契約を結ばされているわけではない。
- 女性蔑視を助長するのではないかという意見については、「妊娠中の生活について、細かく規定されていることが多い」というのがその論拠であるが、代理母ではない妊娠中の女性の生活と比較しての実証的な議論ではない。
- 「差別を助長する可能性があること」と「差別が恒常的に発生していること」は別の問題であるが、代理母出産を批判するグループは、精密な社会調査を踏まえた実証的な研究を行わないまま可能性の問題を事実の問題にすり換えてしまうことがある。
- 人類史を振り返ってみれば家族のあり方は極めて多様なものであることを考えると、代理母出産を批判する際にしばしば持ち出される「家族関係を複雑化する」という主張は説得力を欠く。
- 「複雑化した家族関係を背負って生まれる子供が哀れだ」という批判もあるが、こうした批判もまた「複雑化した家族関係を背負って生まれる子供は哀れだ」と決めつけており、差別を逆に助長するのではないかという意見もある。
- 柘植あづみ、鈴木良子らフェミニズム系の論客は「子供を欲しいと思う感情は人間の本能ではないから、克服可能である(だから高度な生殖医療は必要無い)」としているが、このような主張は社会構築主義を援用したレトリックであって、人文科学の分野での議論に限っては一定の妥当性を持つ(このような理屈で解釈が可能な事象も存在する)が、自然科学的に実証された理論(全ての事例に例外なく妥当する)ではない。
[編集] 関連用語
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