伊東尹祐
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伊東 尹祐(いとう ただすけ、? - 1536年(天文5年)?)は戦国時代の人物で、日向国の戦国大名。伊東祐国の子。伊東祐充・義祐・祐吉の父。死亡年については1523年(大永3年)説もある。
1485年、父の祐国が島津忠昌(武久)と日向飫肥城で戦って戦死したため、その後を継いで当主となった。幼少であったため、しばらくは目立った行動は無かったが、成長した1495年に入ると、父の仇を討つために大軍を率いて自ら島津忠昌を攻めようとしたが、島津忠昌は彼の復讐を恐れて日向国三俣院千町の所領を与えることで何とか和睦を取りまとめている。
晩年は内紛が起こって伊東氏内部が混乱したが、これを何とか鎮めている。だが、後継者を巡る争いは尹祐死後に再燃する事となった。
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