佐久島
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佐久島(さくしま)は三河湾のほぼ中央に浮かぶ島。愛知県幡豆郡一色町に属する。
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[編集] 概要
- 周囲:11.5km
- 世帯:139世帯(2005年国勢調査速報値)
- 人口:315人(2005年国勢調査速報値)
- 面積:1.81km2
愛知県下で最大の島で、漁業と観光レジャーがおもな産業であるが、島の人口は1947年の1634人をピークに減少が続き現在では人口はおよそ5分の1となり、その一方で高齢者比率が5割を越える。
1996年より国土庁や愛知県の後押しを受けて、現代美術による島おこし活動が行われ、2001年から、島の自然や伝統とアートとの出会いによって島の活性化を目指すという「佐久島アートプラン21」が始まった。 その一環として弁天サロンや大場邸等の整備が少しずつ進んでいる。
[編集] 歴史
佐久島には紀元前3000年頃から人が住み始め、縄文・弥生式の土器片などが多く出土しているほか、古墳時代後期の山の神塚古墳もある。「佐久島旧記」には第10代の崇神天皇(紀元前97年〜紀元前30年)の頃に、斎宮(いつきのみや・さいぐう)の郷に作彦の民という人がいて、この島に来住して農業を始めたことから、「作島」が「佐久島」になったと伝える。藤原京時代(694年〜710年)の藤原宮跡から出土した木簡(貢進物付札)に「佐久嶋」と、また奈良時代の平城京跡から出土した木簡には「析嶋」の文字が見られるなど、島周辺の海産物を都に届けた記録も残る。江戸時代には各地を結ぶ海運で繁栄を築いた。1954年に佐久島村は一色町に編入し、1957年に三河湾国定公園に指定された。 かつては吉田(現在の豊橋市)と伊勢神宮等を結ぶ海上交通の要所として栄えた豊かな島であった。戦後も海苔養殖等で繁栄したが、逆に豊かさが徒となり本土側の一色町へ住居を構えて離島する住民が相次ぎ、人口の減少に繋がった。今でも周辺海域は豊かな水産資源に恵まれている。
[編集] 地域
[編集] 役場・金融機関
一色町役場支所、郵便局(無集配・特定局)、JA西三河支店、岡崎信用金庫出張所
[編集] 学校・保育園
小学校、中学校、保育園(いずれも町立)
[編集] 高校進学
[編集] 医療機関・警察
[編集] 水道事業
知多郡南知多町より水道供給されており、海底送水管が知多半島の師崎から日間賀島経由で届いている。水道の使用開始・中止の届け出、料金支払いは南知多町水道課に行う。
[編集] 交通
[編集] 船舶
- 一色町営の高速船が佐久島東港、西港と一色渡船場を結ぶ。(大人800円・所要約25分)
- 通常ダイヤは1日6往復、夏期ダイヤ(7月20日〜8月20日)が8〜10往復。
- 民間の海上タクシーがある。
[編集] 廃止された航路
1952年に佐久島村営の渡船が吉田町(現・吉良町)と結ぶ航路を開設し、1954年の一色町への編入合併後も運行を続けられていたが、1983年9月30日をもって休止し、翌1984年に廃止された。
[編集] その他
[編集] テレビドラマ
CBCテレビ制作の昼ドラマ「直子センセの診察日記」 (1999年3月〜5月放送) の舞台となった。
[編集] 掃海艇
1989年に竣工した海上自衛隊の掃海艇に「さくしま」の名前が付けられた。同艦は2004年11月29日に佐久島に寄港している。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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