倉田卓次
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倉田 卓次(くらた たくじ、1922年(大正11年)1月20日-)は東京都出身の元裁判官、公証人。現弁護士。交通事故の裁判の権威といわれた。法律書に加え、裁判官生活をめぐるエッセーや幅広い分野の読書をもとにしたエッセーの著者としても知られる。
[編集] 略歴
- 1922年(大正11年)1月20日、東京都赤坂区青山に生まれる。東京府立第四中学校(現:東京都立戸山高等学校)卒業。
- 1940年(昭和15年)、第一高等学校入学。
- 1943年(昭和18年)10月、東京帝国大学法学部入学。
- 1943年(昭和18年)12月、入学直後に、いわゆる学徒出陣で津田沼鉄道隊に入隊。ポツダム少尉で復員復学。
- 1948年(昭和23年)9月、東京大学法学部卒。
- 1948年(昭和23年)10月から6か月間、国立国会図書館に主事補として勤務。12月、高等文官試験司法科試験合格。
- 1951年(昭和26年)、司法研修所卒(第3期生)。任官して東京地方裁判所・家庭裁判所判事補、長野地方裁判所・家庭裁判所飯田支部判事補、最高裁判所調査官(民事担当)、札幌高等裁判所判事、東京地方裁判所判事(部総括)。
- 1977年(昭和52年)10月、佐賀地方裁判所・家庭裁判所所長。
- 1980年(昭和55年)2月、東京高等裁判所判事(同部総括)。
- 1983年(昭和58年)8月、退官して公証人(霞ヶ関役場)
- 1992年(平成4年)、公証人を退職。弁護士。
[編集] 主著
- 『民事交通訴訟の課題』(日本評論社、1970年)
- 『ローゼンベルグ証明責任論[全訂版]』(判例タイムズ社、1987年)、初版(1972年)
- 『交通事故賠償の諸相』(日本評論社、1976年)
- 『裁判官の書斎』(頸草書房、1985年)- 「本を読む場所」として、路上読書50年、厠上(トイレ)読書30年という軽やかな一節もある。
- 『裁判官の戦後史』(筑摩書房、1987年)-旧制一高で、寮の同室の遠藤浩(後に学習院大学法学部教授)の案内で、東京大学法学部の我妻栄教授の自宅を訪問し、法律学科への進学を勧められたことから始まり、昭和30年の東京地裁から長野家地裁飯田支部への転任までの自叙伝。
- 『続裁判官の書斎』(頸草書房、1990年)- 幸田露伴『運命』、アイザック・アシモフ『鋼鉄都市』、山田風太郎『明治波濤歌』、渡部昇一『随筆家列伝』などの紹介。『水滸伝』、『論語』、ラ・ロシュフコー『箴言集』などの翻訳をめぐる比べ読み。
- 『続々裁判官の書斎 』(勁草書房、1992年)
- 『続裁判官の戦後史』(悠々社、1993年)
- 『続々々裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)
- 『続々裁判官の戦後史 老法曹の思い出話』(悠々社、2006年) - 書きもしない小説(『家畜人ヤプー』)を書いたとされている世人の誤解をこの機会に解く一文がある。