吉野の盟約
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吉野の盟約とは天武天皇と皇后の鸕野讚良がその間にもうけた草壁皇子を 次期大王であると宣言した盟約。
679(天武8年)5月5日に吉野へ行幸。草壁皇子ら皇族に彼を次期大王とし、お互い助けて 相争わない事を誓わせた。その皇族の一人、志貴皇子は兄天智天皇の第7皇子であったが、 この盟約が記録上初の登場であった。しかし、681(天武10)年には草壁は皇太子となるが、 器量優れたライバルの大津皇子も政治に参加する事となり結局天武天皇の後継は曖昧なものとなってしまった。 そして、そうした内に天皇は崩御し、大津皇子は謀反の疑いをかけられて非業の最後を遂げたが、草壁もまもなく 夭折し、鸕野讚良が高市皇子等有力跡継ぎ候補を無視して自ら正式に持統天皇として 即位するのである。