呉承恩
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呉承恩(ご・しょうおん、簡体字:吴承恩、ピンイン:Wú Chéng'ēn、1504年ごろ-1582年ごろ)は明代の中国の官吏、文人。字は汝忠、号は射陽山人。江蘇省淮安の人。中国では『西遊記』の著者として認められているが、日本ではそうではないという説が主流である。
[編集] 人物
呉承恩は40歳ごろに貢士として、北京中央で官職を得ようとしたが、思うように選ばれず、実家も貧しかったので長興県丞の職についた。しかし誣告されたため「袖を払って、帰った」という。晩年は売文で業をなし、80歳の高齢まで生きたという。
『天啓淮安府志』には、「性は敏にして智慧は多し、博く多くの書物を極めた。詩文をなし、筆を下ろしては清雅流麗を立成し、秦少游の風があった。また諧謔を善くし、ところに雑記を幾種も著しては、一時、その名を震わした」。しかし、これらは彼の死後の記録である。
彼はたくさんの著作があったというが、家が貧しく、子女もないので作品は散逸している。怪奇小説集『禹鼎記』も名前のみ伝わり、内容は失われている。現在は後世の人々が編んだ『射陽先生存稿』の4巻があるだけである。
最もよく知られている『西遊記』に関しては、「最後の改訂をした作者」といわれ、中国ではその主張が広く知られている。日本においても、1963年に太田辰夫と鳥居久靖の翻訳によって平凡社から刊行された版でも「呉承恩作」とクレジットされ、小野忍が翻訳した岩波文庫(1977年版)でも留保付きで「呉承恩作」が踏襲された。しかしその後、太田辰夫が『西遊記の研究』(研文出版)などの著作や論文で、呉承恩に『西遊記』という著作があったことが事実だとしても、それは三蔵法師と孫悟空の物語ではないことを立証した。このため急逝した小野忍の跡を継いで岩波文庫版の翻訳に取り組んだ中野美代子訳の『西遊記』(4巻以降)では呉承恩作のクレジットは取り払われ、現在の完訳である岩波文庫版(中野美代子による個人全訳)でも呉承恩作者説はしりぞけられている。
[編集] 参考文献
- 太田辰夫『西遊記の研究』研文出版, 1984年
- 中野美代子『西遊記--トリック・ワールド探訪』岩波新書, 2000年 ISBN 4004306663