外濠 (東京都)
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外濠(そとぼり)とは、かつて東京都千代田区、中央区に存在した河川である。現在の呉服橋交差点付近より日本橋川より分流し、土橋交差点付近で汐留川に合流していた河川で、千代田区と中央区の区界を成している。ただし、外濠とは江戸城の堀をさす呼称でもあり、水路が存在したころは飯田橋付近より土橋に抜ける水路が外濠と呼ばれることもあった。この定義によれば、神田川より汐留川までが外濠で、日本橋川が呉服橋付近にて外濠より分流することになるが、本稿では前者の定義によることとする。
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[編集] 歴史
外濠は、江戸時代に江戸城防衛のために作られた人工の堀である。徳川家康が江戸幕府を開いた頃は、外濠近辺は江戸前島と呼ばれる半島であり、それより江戸城寄りには日比谷入江とよばれる海が存在した。
幕府は1606年より江戸城の建築・整備をすると同時に日比谷入江を埋立て陸化し、この地に堀を開削し江戸城の外郭を定めた。外濠は、道三堀(現在の日本橋川はその一部)とともに、江戸時代においては水運の要として機能したのはもちろん、各所には石垣と城門が設けられ、町人地と武家地の境を明確にした。
その後、外濠は、近年にいたるまで水路として運輸の要として機能していたが、戦後の残土処理のため河川は段階的に埋め立てられた。1950年(昭和25年頃)までにその大部分が埋め立てられていたと言われ、1959年(昭和34年)には呉服橋付近を若干残して水路としての外濠は消滅した。
埋立てられた跡地には東京高速道路、東海道新幹線、鉄鋼ビルディングなどが建設されている。
外濠に架けられていた呉服橋、鍛冶橋、数寄屋橋は撤去されてしまったが、現在でも交差点名としてその名を残している。
[編集] 外濠に架けられていた橋
- 呉服橋
- 八重洲橋
- 鍛冶橋
- 有楽橋
- 新有楽橋
- 丸之内橋
- 数寄屋橋
- 山下橋
[編集] 関連河川
[編集] 参考文献
- 東京都中央区編『中央区三十年史』 東京都中央区、1980年。