大月隆寛
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大月隆寛 (おおつき たかひろ、1959年3月5日 - ) は、東京都武蔵野市出身で兵庫県育ちの民俗学者。自称“暴力デブ太郎”。魚座のA型。高校時代はラグビー部に所属していた。
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[編集] 経歴
競馬評論や民衆文化、文学成立の時代習俗などをテーマに異色のフィールドワークを展開する。コミックなどにも造詣が深い。浅羽通明と共に、呉智英の弟子に当たる。宅八郎曰く「ジャイアンとスネオ」。
早稲田大学法学部卒業。浅羽通明とは同級生。成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得。国立歴史民俗博物館の助教授をしていたが、1997年3月、辞職。背景には、「新しい歴史教科書をつくる会」に参加し、そこでの見解の食い違いから、最終的にはそこから訣別するという事件があり、それで心身ともに疲れ果ててしまったから、という説がある(宮台真司は「野獣系で行こう!!」にて、過去に大月の発した言葉を引用してまでその辺を批判している)。しかし大月が実際に「つくる会」と決別するのは1999年9月のことであるため、その信憑性は定かではない。本人は辞職について、運動に参加するためのけじめ、としている。
辞職後は国際日本文化研究センター客員助教授を経て非常勤講師など。
現在、「BSマンガ夜話」などで司会を行う。ネット上のゴシップメールマガジン、サイバッチインデプスの編集長、産経新聞ブログポータル「iza!」内コラム『断』で執筆。また、『諸君!』のインターネットについての(事実上は2ちゃんねるとその周辺の)連載「麹町電網(インターネット)測候所」の筆者説もある。
[編集] エピソード・人物像
- 2000年8月30日に2ちゃんねる競馬板にて「おまえら喜べ!グルメフロンティアが復帰するぞ!」というネタスレが立てられ、これを真に受けて『週刊Gallop』の連載コラム内で発表したため、2ちゃんねらーの笑いものとなった。なお、大月自身は2ちゃんねるに対して一定の評価をしている。
[編集] 来歴
[編集] 学歴
- 1977年 兵庫県立西宮高等学校
- 1981年 早大法学部卒業
- 1986年 成城大大学院文学研究科博士後期課程単位取得
[編集] 職歴
- 1984年 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員(~85年)
- 1985年 成城大学民俗学研究所研究員(~87年)
- 1987年 財団法人民族学振興会研究員(~88年)
- 1986年 国立歴史民俗博物館 共同研究員(~89年)
- 1989年 東京外国語大学外国語学部日本語学科助手
- 1993年10月 国立歴史民俗博物館民俗研究部社会伝承第一部門助教授
- 1997年3月 歴博を退職
- 1997年4月 国際日本文化研究センター客員助教授(~2000年3月)
[編集] 非常勤講師歴
- 和光大学人文学部(1990年度~1993年度)
- 法政大学第一教養部(1991年度~1994年度)
- 東京外国語大学外国語学部(1993年度後期~1995年度)
- 東大教養学部(1994年度~1996年度)
- 聖心女子大学文学部(1996年度~1998年度)
[編集] 著書
- 厩舎物語 日本エディタースクール出版部 1990年 ISBN 4888881707
- 民俗学という不幸 青弓社 1992年 ISBN 4787230514
- 瓦礫の活字を踏み鳴らし図書新聞1994年
- 無法松の影 毎日新聞社 1995年 ISBN 4167656787
- 自分を知るための論争術 洋泉社 1995年 ISBN 4896911954
- 大月隆寛の無茶修行 上下 毎日新聞社 1996年
- あたしの民主主義 毎日新聞社 2000年 ISBN 462031420X
- 独立書評愚連隊 天の巻・地の巻 国書刊行会 2001年 ISBN 4336043221 ISBN 433604323X
- 田口ランディ その盗作=万引きの研究 鹿砦社 2002年 ISBN 484630468X
- 中津競馬物語(中津競馬記録誌刊行会) 不知火書房2002年
- うまやもん―変わりゆくニッポン競馬の現場 現代書館2004年
- 全身民俗学者 夏目書房2004年
- 危ないミクシィ 大流行!SNSの闇(共著)洋泉社 2007年 ISBN 4862481094
[編集] 翻訳
- ジャン・ハロルド・ブルンヴァン『消えるヒッチハイカー』(共訳)新宿書房 1988年
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
個人HPなし
- サイバッチ!(公式サイト)
- 【サイバッチ!】インデプス