専門学校令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
専門学校令(せんもんがっこうれい)とは、第二次世界大戦前の日本において、中等教育を卒業した者に高等専門教育を実施する根拠法となった勅令である。現在は効力を有していない。
目次 |
[編集] 背景
専門学校令は1903年3月27日に勅令61号として発令された。この勅令が発令された当時、日本における高等教育のうち、高等専門教育を実施する教育機関に関しては統一された法制度が制定されていなかった。そのため、文部省は旧制専門学校(以下、本稿では専門学校と略す)の設立が申請されるたびに個別に認可するかどうかを決定する状況であった。しかし、旧制中学校が法的に整備され、高等専門教育を望む者が増加すると私立学校を中心に専門学校の設立申請が相次いだ。そこで統一した基準を定める必要が生じ、専門学校令を発令することとなったのである。
[編集] 概要
専門学校令は第一条において「高等ノ学術技芸ヲ教授スル学校ハ専門学校トス」と専門学校の大枠を定め、続いて「専門学校ハ特別ノ規定アル場合ヲ除クノ外本令ノ規定ニ依ルヘシ」と専門学校に関してはすべてこの勅令で管理することを宣言している。
第五条では入学資格のある者を「中学校若ハ修業年限四箇年以上ノ高等女学校ヲ卒業シタル者又ハ之ト同等ノ学力ヲ有スルモノト検セラレタル者」として、旧制中学校および高等女学校の卒業生を対象としている。また、後段は専門学校入学者検定を指している。第六条で専門学校の修業年限は三ヵ年以上とされた。
また、専門学校には予科・研究科・別科を設置することが認められていた。
以上のような専門学校令に準拠して設立された学校のなかからは、のちに大学令による私立の旧制大学に昇格するものも現れ(昇格できなかったものもそのほとんどが新制の私立大学に昇格した)、宗教系学校、女子専門学校、医学専門学校、歯科医学専門学校、薬学専門学校、外国語学校など広範な学校が含まれた。
[編集] 実業専門学校
専門学校令が定められると同時に実業学校令が改正された。これは実業学校のうち、高等教育を実施する教育機関を「実業専門学校」とし、本来は中等教育を実施するはずの実業学校から高等教育に類する学校を分離して別の教育機関として位置づけるためであった。具体的には高等商業学校・高等工業学校・高等農林学校などが実業専門学校に分類された教育機関である。ここで規定された「実業専門学校」は、実業学校令ではなく、専門学校令に基づく専門学校の別類型として扱われた。
[編集] 戦時中の改正
第二次世界大戦中の1943年、専門学校令の改正および実業学校令の廃止により、専門学校と実業専門学校の区別は廃止され同じ「専門学校」として扱われることとなった。翌44年には、各種の専門学校は経済専門学校(旧高商)・工業専門学校(旧高工)・農林専門学校(旧高農)・外事専門学校(旧外国語学校)などと改称、官立学校については各学校種別の共通規定が制定された。戦後の1946年には「官立専門学校官制」が制定されている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本の旧教育法令 | 日本の旧制専門学校 | 高等教育の歴史 (日本) | 教育に関するスタブ