小林透
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小林 透(こばやし とおる、1964年2月27日 - )は、日本を代表するプログレッシブロックベースプレーヤー、作曲家。北海道札幌市出身。札幌市星園高等学校中退のちに大検を取得。「トオルチャン」の愛称がある。1983年にアメリカボストン市のバークリー音楽院(現バークリー音楽大学)に留学した。帰国後はレコーディングのサポートや、シンセサイザーの音源作成やCMなどの作曲活動で活躍している。
彼のベースプレイは、ハードロックでありながらも、スラップを多用するプレイで、変拍子を多用し細かく正確で高速なベースソロは、誰にも真似の出来ないプレイとして、彼らのカヴァー曲を演奏するプレイヤーは皆無といえる。テクニカルなベースプレーヤーとしては、現カシオペアの鳴瀬喜博などと並び日本を代表するトッププレーヤーである。
彼が世に知れたのは、Redというプログレッシブロックバンドであり、メンバーは、ベース小林透、ギター武田秀敏、ドラムス湊雅史というトリオ構成であった。とにかく、ハードでありながらもメンバー3人がテクニカルなプレイを駆使することから、観客席にはミュージシャン達が陣取り、テクニックを盗もうと目を皿のようにして見入っていたという、ロック界でもカリスマ的な存在であったのは間違いない。ドラムスの、湊雅史は、リットーミュージック出版のドラムマガジンなどでも、たびたび顔を出すテクニカルドラマーとして有名である。また、現在でも多くの活動を行っており、数え切れないほどのミュージシャンと共演したりサポートを行ったりしている。中でも福山雅治や奥田民生などとは、レコーディングやツアーなどにも参加している。実は、小林透をRedに誘ったのは、湊雅史であり、当時、彼がアウトレイジというバンドで活動しているところを目にし、彼のベースプレイに魅了され、Redに誘ったといのが真相らしい。しかし、小林透は、誘われて加入したRedにおいて、MCやリーダーを勤めており、統率力もあることが窺い知れる。また、彼の誰からも愛される人間性もすばらしく、彼の持つ才能は、音楽のみに留まらないようである。アメリカホノルル市の通信制大学であるイオンド大学で音響概論の講師を務め、現在彼は、オムニシステムコミュニケーションズというIT関連の会社を経営している。
近年は、ほとんど音楽活動は行っていないようで、業界でも惜しむ声が多く聞かれる。だが、南青山のライブハウスなどで、運がよければ彼のベースを聴くことができるらしい。
[編集] 彼の代表的な使用楽器
- SAVRE BASS/MUSICMAN 1969年製 (With Bartolini Pickups & TUNE PRE-AMP)
- Jazz Bass/Fender 1977年製 (Fletles Bass)
- EEL BASS/ORIGINAL 1994年製 (With Bartolini Pickups & TUNE PRE-AMP)
[編集] 主な作品
- Red/Red
- MINOS/Red
- 危険濃度-ドミニオン/D-CREW
- 平成のモーツアルト/D-CREW