出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尚益王(しょうえきおう、1678年 - 1712年)は琉球第二尚氏王統第12代国王。在位1710年 - 1712年。第11代国王尚貞王の孫、中城王子・尚純の子。
祖父・尚貞王代に魏士哲・高嶺徳明が中国に渡り補唇術を学んだが、それは王孫・尚益が兎唇であったためらしい。伝承では、尚益は口髭を生やして傷を隠したため、その子らも父が兎唇であった事を知らなかったと伝えられる。
[編集] 家族表
- 父・尚純
- 母・聞得大君加那志(号・義雲)
- 妃・聞得大君加那志(号・坤宏。父は伊野波殿内七世盛紀の四男・具志川親方盛昌)
- 夫人・西之按司(父は国頭親方朝姿)
- 妻
- 宮城阿護母志良礼(号・慈雲。父は田場掟親雲上兼忠)
- 知念阿護母志良礼(父は孫氏支流崎山筑登之親雲上嗣長)
- 子女
- 長男・尚敬、中城王子朝系(母は妃)
- 次男・尚徹、北谷王子朝騎(母は妃。大村御殿二世。養子入り)
-
- 長女・嘉手苅翁主(母は妃。美里殿内八世美里親方安承に嫁ぐ)
- 次女・古波蔵翁主(母は妃。毛氏十世豊見城親雲上盛邑に嫁ぐ)
- 三女・冨盛翁主(母は慈雲。翁氏支流七世佐久真親方盛胤に嫁ぐ)
- 四女・内間翁主(母は慈恩。小禄殿内八世永本親雲上良隆に嫁ぐ)