後藤忠政
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後藤 忠政(ごとう ただまさ、1942年(昭和17年)9月16日 - )は、ヤクザ、指定暴力団・六代目山口組舎弟(五代目山口組若頭補佐)、後藤組組長、旧伊堂組舎弟、元川内組若頭補佐兼静岡支部長。本名、後藤 忠正(読み方は同じ)。
三代目山口組若頭補佐・菅谷政雄(菅谷組組長)の舎弟・川内弘が率いる川内組の組員だった1969年(昭和44年)、静岡県富士宮市で「後藤組」を結成。静岡県における山口組勢力拡大の嚆矢となった。1977年(昭和52年)に川内が破門・殺害されて川内組が事実上消滅した[1]のを受け、同じ静岡県の浜松市に本拠を置く山口組 伊堂組(組長・伊堂敏雄)に舎弟として移籍した。
1984年7月、四代目山口組(組長・竹中正久)の発足に伴い伊堂が引退したのを受け、山口組直参に昇格した。一和会(会長・山本広)との山一抗争では武闘派として積極的に働き、五代目山口組(組長・渡辺芳則)の東京進出でも先駆けとなって勢力を拡大させ、2002年(平成14年)7月に山口組若頭補佐に就任した。
2005年(平成17年)8月、六代目山口組(組長・司忍)の発足に伴い、同組舎弟に直った。
2006年(平成18年)5月8日、東京都渋谷区のビル所有権の不正変更などの電磁的公正証書原本不実記録の容疑で、組関係者などとともに警視庁に逮捕された。容疑は否認している。
日本航空(JAL)の個人筆頭株主でもあった。