慈運法親王
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慈運法親王(じうんほっしんのう、文正元年(1466年) - 天文6年(1537年))は、戦国時代の法親王。父は伏見宮貞成親王の子貞常親王。後土御門天皇の猶子となる。法名は初め良源と称し、のち慈運と改めた。二品僧正とも称される。
曼殊院に入り、1495年(明応4年)門跡となり、北野社別当に任じられた。1530年(享禄3年)に二品に叙せられ、1533年(天文2年)には法住寺座主を兼任し、大僧正に任じられた。和歌や連歌に秀でていた。
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