捕鯨
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捕鯨(ほげい)とは、主に食用・油用にクジラを捕獲することである。かつては燃料源として欧米諸国で盛んに行われていたが、近年は日本・ノルウェー・フィリピン・フェロー諸島などの国や、北極圏に住む先住民族などが食用に行っている。
国際捕鯨委員会は捕鯨を三つに分けて表現している。
- 商業捕鯨
- 調査捕鯨
- 生存捕鯨
捕鯨方式の形態により次のように分けられている。
- 母船式捕鯨
- 大型沿岸捕鯨
- 小型沿岸捕鯨
目次 |
[編集] 捕鯨の歴史
- 縄文時代、三内丸山遺跡からクジラの骨が出土している。鯨を食料や骨器の材料として利用していた、ただこの時代は、寄鯨・流鯨を利用していた。
- 弥生時代、原ノ辻遺跡から鯨骨製骨剣・鉾先・紡錘車などが出土しいる。その後、寄鯨・流鯨などの消極的な捕鯨から、鯨を見て捕獲する積極的な捕鯨へ進化していく。
- 700年ころ、古事記に神武天皇に鯨肉を奉った話がある。日本書紀にクジラについての記述がある。
- 1200年ころ、船をこぎだし、銛で突く「突き取り式捕鯨」が生まれた。
- 1591年1月、長宗我部元親が豊臣秀吉に献上するため大坂城へ運ぶ。
- 1853年、ペリー提督は、捕鯨船寄港のため日本に開国を迫る。
- 1951年、日本が国際捕鯨委員会加盟
- 1983年、国際捕鯨委員会で商業捕鯨の一時中止
- 1988年、日本がミンククジラとマッコウクジラの商業捕鯨を中止
- 1993年、ノルウェーが商業捕鯨を再開
- 2006年、アイスランドが商業捕鯨を再開
[編集] 鯨の墓
日本各地に「鯨墓」(げいぼ、くじらばか)、「鯨塚」(くじらづか)などと呼ばれる記念碑がある。これは、捕鯨により食料や金銭を得られたことに対する感謝の気持ちを表して建てられたものである。捕鯨を主要な漁業として日常的に行っていた漁村には必ずといってよいほど存在するが、特定の故事をきっかけに建てられたとの伝承が残されているものもある。山口県長門市や大分県臼杵市のものが有名。