日立メディコ
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
本社所在地 | 東京都千代田区外神田4-14-1 |
設立 | 1949年5月9日 |
業種 | 電気機器 |
事業内容 | 医用画像診断装置の開発・製造・販売・サービス |
代表者 | 取締役社長兼執行役社長 稲員裕三 |
資本金 | 138億8400万円 |
従業員数 | 2,350名(2006年3月現在) |
主要株主 | 日立製作所 |
主要子会社 | 日立メディカルコンピュータ |
外部リンク | http://www.hitachi-medical.co.jp/ |
株式会社日立メディコ(かぶしきがいしゃひたちめでぃこ)は、東京都千代田区に本社を置く日立グループの医療機器メーカーである。
[編集] 概要
単純X線撮影装置の老舗であった渋谷レントゲン製作所を日立が吸収し、販売部門として、日立レントゲンを設立。さらに日立のレントゲン製造部門と大阪レントゲン製作所を日立レントゲンに合併させ、後に日立メディコと改称。
日立は1975年の10月、国産初のX線CT装置を完成させるが、開発と販売を日立メディコに移管。(東芝メディカル、島津製作所は当初、海外の製品を輸入)
その後、MRI、RI(核医学)、超音波画像診断装置(いわゆるエコー)など、ラインナップを増やし、総合医療機器メーカーとなった。
国内メーカーとしては、東芝メディカル、島津製作所と、海外メーカーとしてはゼネラルエレクトリック、フィリップス、シーメンスなどと市場で争う。(CTを発明したEMIは早々に撤退した)
[編集] 沿革
- 1928年(昭和3年) 渋谷レントゲン製作所が設立される。
- 1951年(昭和26年) 渋谷レントゲン製作所が日立製作所に吸収され、装置の製作は亀戸工場に、X線管の製作は茂原工場に、販売は日製産業に移管される。
- 1953年(昭和28年) 販売は日立系の東日本実業に移管。
- 1954年(昭和29年) 東日本実業を日立レントゲン株式会社と改称。(後に日立レントゲン販売と改称)
- 1960年(昭和35年) 集団検診用車載形間接X線装置を開発。
- 1962年(昭和37年) 大阪レントゲン製作所の営業部門を譲り受ける。
- 1969年(昭和44年) 日立レントゲン販売と亀戸工場のレントゲン製造部門、大阪レントゲン製作所が合併して日立レントゲン株式会社となる。同時に、亀戸工場の製造部門は柏市に移転して柏工場に、大阪レントゲン製作所が大阪工場となる。真空管式Aモード(波形表示)超音波診断装置を開発。
- 1972年(昭和47年) コンタクトコンパウンド型Bモード(断層像)診断装置を開発。
- 1973年(昭和48年) 日立レントゲンを株式会社日立メディコと改称。
- 1975年(昭和50年) 日立製作所が国産で初めてX線CTを開発。名古屋保健衛生大学に納入。開発、販売を日立メディコに移管。
- 1976年(昭和51年) 乳房検診用超音波検診車を開発。順天堂大学の指導による。
- 1977年(昭和52年) 全身用X線CTを開発。
- 1983年(昭和58年) 米国フィリップスむけ全身用X線CTを開発。
- 1987年(昭和62年) 永久磁石式MRIを開発。
[編集] 外部リンク
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