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朝鮮人街道は、現・野洲市行畑で中山道から分岐し、近江八幡・安土・彦根を経由して、現・彦根市鳥居本で再び中山道に合流した江戸時代の脇街道である。距離は約41㎞。徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利し凱旋した街道で、将軍上洛に使われたが、朝鮮通信使が通行したためこの名がある。沿線の道標には、「京街道」「浜街道」の別名もある。
朝鮮通信使の通行は前後10回。宿泊地は、彦根市の宗安寺で、「李朝高官の肖像」が残されている。昼食所として近江八幡市の本願寺八幡別院が使われ、現在も「副使の書」が残されている。