本末制度
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本末制度(ほんまつせいど)は、江戸時代、徳川幕府が仏教教団を統制するために設けた制度である。
各宗派の寺院を重層的な本山・末寺の関係に置くことで、その宗派に対する統制をはかった制度である。そのため、無本寺寺院をゼロにして、寺院相互の本末関係を固定化してしまう必要があった。
1631年、新寺の創建を禁止し、翌年以降、各本山に対して「末寺帳」の提出を義務づけた。これによって、各地方の古刹が幕府の命によって、形式的に特定の宗派に編入されることとなった。
幕府は、江戸に設置された各宗派の「触頭」を通じて、自らの意向を宗派の末寺に対して周知徹底させることが可能になった。
寺請制度や寺院諸法度の創設と連動した幕府の政策は、各宗派の活動の中心にあった門派や塔頭の教団機能を低下させ、各本山への権限の集中を招いた。
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