李国秀
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李 国秀(り くにひで、1957年4月25日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。在日韓国人二世。
在日韓国人だが「韓国のプレイスタイルは自分に合わない、だから香港でプレイした」と語るように、指導者としてもショートパスを中心とした技術重視のサッカーを志向する。 横浜トライスター、桐蔭学園高校サッカー部での指導を経て1999年からはヴェルディ川崎の「総監督」に就く。ヴェルディでは監督を松永英機、張外龍が務めたが、実質的な指揮は李が執っていた。これは李が日本サッカー協会のS級ライセンスを持っていないための措置だった。
ヴェルディでは林健太郎、米山篤志、山田卓也、小林慶行など桐蔭時代の教え子らを中心としてチームを組み立て、1999年1部1stステージには周囲の予想を覆して2位につけた。その年に行われた天皇杯全日本サッカー選手権大会の準決勝のサンフレッチェ広島戦で負けた後の記者会見で主審を中傷する発言で2000年のJリーグ1部の最初の数試合ベンチ入り禁止の処分を受けた。
[編集] 選手経歴
- 東京韓国学園
- 読売クラブ 1973-1976
- キャロライナヒルフットボールクラブ(香港)1976-1977
- 横浜トライスターサッカークラブ 1981-1987
[編集] 指導経歴
- 横浜トライスターサッカークラブ助監督 1981-1987
- 桐蔭学園高校サッカー部監督 1987-
- ヴェルディ川崎総監督 1999-2000
- 清水商業高校臨時コーチ
- 鹿児島実業高校臨時コーチ
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