東亜日報
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東亜日報 | |
---|---|
{{{picture-type}}} | |
{{{caption}}} | |
各種表記 | |
ハングル: | 동아일보 |
漢字: | 東亞日報 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
{{{hiragana}}} |
片仮名: (現地語読み仮名): |
トンアイルボ |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語表記: | The Dong-a Ilbo |
東亜日報(とうあにっぽう、トンアイルボ)は、大韓民国の日刊新聞(朝刊)である。日本統治時代の1920年に創刊。本社をソウル特別市鍾路区に置く。発行部数は2,068,647部(韓国ABC協会への申告部数、2003年10月~12月)。朝鮮日報、中央日報とともに韓国の三大紙と称され、中央日報と発行部数第2位の座を競っている。
1936年のベルリンオリンピックで、マラソン競技で金メダルを獲得した朝鮮半島出身の孫基禎選手の胸の日の丸を抹消して掲載し、11ヶ月の停刊処分を受けた。
大韓民国成立後は、政論を売り物にした高級志向のリベラル紙として再発足し、韓国の朝日新聞と評された。朝日新聞とは現在も特約紙の関係にあり、東京支社を東京都中央区築地の朝日新聞東京本社ビル内に置く。
朴正熙時代には、一貫して民主主義回復の論陣を張り、広告掲載禁止などの嫌がらせを受けた。
1963年には、東亜放送(DBS:ラジオ792キロヘルツ)を開局させたが、全斗煥政権の言論統廃合により、1980年11月30日に廃局され、公営の韓国放送公社 (KBS) に吸収合併された。東亜日報は、直ちに法廷闘争を開始したが(「周波数を返せ」闘争)、「周波数は既に他局に使用されている」として、1990年に敗訴が確定した。
知識人に読者が多い東亜日報は、他紙と比較して漢字の使用頻度が高いと言われていたが、時代の流れには抗えず、1998年1月1日には、レイアウトを横組みに改め、見出しの一部を除いて漢字の使用もやめた。民主化の進展と共に、政論よりも生活情報を重視する紙面作りに方針転換した。最近では、もともと保守本流を売り物にしていた朝鮮日報と同列に、ハンナラ党の支持団体といわれている。
同紙日本語版ホームページでは、全記事にナレーションが付いている。記事の本文上(題文下)の「記事を聞く」をクリックすると聴くことができる。なぜか人名(朝鮮人)の姓は朝鮮読み、名前は日本語読み(一部訓読み)で読まれている。ナレーターも聞く限りではコンピュータでの合成音声であるためか、棒読みな上音節の区切りや発音が多少不自然であるが、おそらく全員が日本語記事全文を読めるであろう日本人を対象にしたサービスである。ちなみに、韓国語版・英語版・中国語版でも同様のサービスが存在する。
2005年10月3日(日本語版HP)、東亜日報は当時訪韓していた漫画家・ちばてつやへのインタビューと証する記事を掲載。当時話題となっていた『マンガ 嫌韓流』について、「韓国を卑下する漫画」と決め付けた上で、氏が「日本の作家を代表して謝罪します」とコメントしたと捏造して掲載し、ちばてつやプロダクションから抗議を受けたことがある(韓国語版では謝罪部分の記事はすぐに差し替えられた)。