東莞市
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東莞(とうかん、ドングァン、Dongguan)は中華人民共和国広東省中部にある地級市。20数カ所の鎮と行政の中心である区で構成される。
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[編集] 概要
東莞市の面積は2465平方キロメートル。南北では50km、東西では70kmほどの広がりがある。人口は750.63万(2005年)。唐代の757年に、番禺(広州)の東にある、「莞草」(イグサ)の産地として「東莞」と名付けられた。
珠江デルタの北東部に位置し、古くから莞城鎮(現莞城区)と、水運の要地である虎門鎮を中心に、街が形成されていたが、現在の市域の多くは赤土が広がる貧しい農村だった。しかし、改革開放政策が取られてからは、広州と深圳、香港の中間に位置することから、香港企業、台湾企業の委託加工先や工場建設の好適地として、衣料品、日用雑貨、玩具、電子製品、パソコンまで、重工業以外の各種工場が林立する工業地帯に変貌した。特に、パソコン部品は世界の供給拠点として重要な地位を占める。また、輸出に必要な包装用段ボール箱を製造する、製紙工業もさかんで、中国最大の工場もある。
農業では米の他、野菜栽培が盛んで、香港、広州、深圳などへの重要な供給基地のひとつとなっている。
旧来東莞に住み、本籍を持つ住民の人口は約165万人であるが、広東語の下位方言である「東莞話」(とうかんわ)を話す地区と、樟木頭鎮、清渓鎮などの恵陽や深圳に近い丘陵地帯に点在する客家語を話す地区に別れる。しかし現在は、湖南省、四川省など、省外からの流入人口が多く、標準語が広く通用している。人口が増えることで、街には活気があり、例えば、夜の接待に使われるホテル併設の「夜総会」(ナイトクラブ)は豪華絢爛の一言であり、ホステスの在籍数が100人を超えるところも多い。
[編集] 歴史
新石器時代からの遺跡が見つかっており、古来、居住者がいたことが知られている。春秋戦国時代の百越の地であり、南越族が住んでいたと考えられる。紀元前214年、秦の始皇帝が全国を統一すると、南海郡番禺県に属した。後漢の順帝が番禺から増城県を分離させると、東莞も増城県に属した。331年、増城から分離され宝安県となった。757年に東莞と改名し、莞城に役所を置いた。1949年に中華人民共和国成立すると、東莞は東江行政区の管轄下に置かれた。1952年には粤中行政区に入り、1956年に恵陽専区に入った。1985年に国務院の批准によって珠江デルタ経済開発区に入り、同年9月には東莞県から東莞市に改称した。1988年1月に現在の地級市に昇格している。
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 水運
- 虎門から香港などに客船が出ている。香港まで47海里。
[編集] 道路
- 高速道路 - 広深高速道路、莞深高速道路、竜大高速道路、常虎高速道路
- 107国道
[編集] バス
- 東莞城巴 - 2004年に東莞公汽、長安公汽、石龍公汽を統合。
- ターミナル - 万江汽車客運総站、南城汽車客運站、高埗汽車客運站、市汽車客運站、榴花汽車客運站、莞長汽車客運站の6個所。
[編集] 観光
[編集] 行政区画
東莞市の行政区画は区と市が直接管轄する鎮の2つで構成され、県制度はない。
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- 城鎮片:莞城区、石竜鎮、虎門鎮、東城区、万江区、南城区
- 水郷片:中堂鎮、望牛墩鎮、麻涌鎮、石碣鎮、高埗鎮
- 沿海片:洪梅鎮、道滘鎮、厚街鎮、沙田鎮、長安鎮
- 丘陵片:寮歩鎮、大嶺山鎮、大朗鎮、黄江鎮
- 山区片:樟木頭鎮、鳳崗鎮、塘厦鎮、謝崗鎮、清溪鎮
- 埔田片:常平鎮、橋頭鎮、横瀝鎮、東坑鎮、企石鎮、石排鎮、茶山鎮
[編集] スポーツ
東莞市の東莞聯華サッカーチームが香港Aリーグで試合を行っている。
[編集] 出身者
- 袁崇煥 - 明代生まれで、清軍に抵抗した民族的英雄
- 蒋光鼐 - 十九路軍の総指揮官
- 陳鏡開 - ウエイトリフティング選手
[編集] 中華人民共和国成立以降の首長等
- 県長、市長 - 葉耀、李近維、佟星、黎桂康、劉志庚、李毓全
- 県、市共産党委員会書記 - 欧陽徳、李近維、佟星、劉志庚
[編集] テレビ
- 東莞電視台(東莞テレビ) - 第1チャンネル、第2チャンネル
[編集] 東莞に拠点を持つ企業
- 奇声電子実業
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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