松平容住
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松平 容住(まつだいら かたおき、1779年1月7日(安永7年11月20日) - 1806年2月15日(文化2年12月27日))は、陸奥国会津藩の第6代藩主。松平容詮(3代藩主・松平正容の九男・松平容章の長男)の長男。官位は従四位下、肥後守。正室は井伊直幸の娘。子に松平容衆(次男)、松平容敬(三男)がいる。
第5代藩主・松平容頌の養子となっていた父が家督相続前に死去したため、文化2年(1805年)の容頌死去の後を継いで藩主となった。容頌と同じく田中玄宰を登用して改革を行なおうとしたが、藩主に就任して1年足らずの同年12月に28歳で死去。後を次男・容衆が継いだ。
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