松平頼看
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松平 頼看(まつだいら よりみ、安永2年12月11日(1774年1月22日) - 寛政9年1月27日(1797年2月16日))は、伊予西条藩の第7代藩主。父は第6代藩主・松平頼謙。母は永石氏。正室は徳川重倫の養女(徳川頼興の娘)。側室はなし。官位は従四位下、侍従、雅楽頭。
安永2年(1773年)12月11日生まれ。幼名は義郎。天明8年(1788年)に叙任する。寛政7年(1795年)8月7日、父の隠居により後を継ぐが、寛政9年(1797年)正月20日、父に先立って25歳の若さで死去した。一人娘しかいなかったため、家督は養嗣子(実は弟)の松平頼啓が継いだ。法号:広徳院殿一道寿林日盈大居士。墓所:東京都大田区池上の本門寺。
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