栃木県立宇都宮高等学校
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栃木県立宇都宮高等学校(とちぎけんりつうつのみやこうとうがっこう)は、普通科のみの男子校で、栃木県を代表する進学校。通信制を併設する。略称・宇高(うたか)。
目次 |
[編集] 概要
- 所在地
〒320-0846 栃木県宇都宮市滝の原三丁目5番地70号
- 校地校舎
- 校地 111,376.94平方メートル
- 運動場 56,393平方メートル
- 建物敷地 19,284平方メートル
- その他 35,699平方メートル
- 生徒数
- 生徒定数 840名(全日制)
- 卒業生総数 24,459名(全日制)(平成15年3月現在)
一般的な学生服を制服とする。
部活動が盛んで、全校生徒の8割は何らかの部活動を行っている。[要出典]
[編集] 沿革
- 1879年(明治12)2月13日 栃木県師範学校付属予備学校を師範学校より分離、「栃木中学校」として都賀郡薗部村に創立
- 1879年(明治12)10月13日 「栃木県第一中学校」と改称
- 1885年(明治18)4月26日 県庁の宇都宮移転にともない宇都宮町に移転
- 1885年(明治18)10月6日 「栃木県中学校」と改称
- 1893年(明治26)7月25日 河内郡姿川村滝の原(現在地)に新築校舎落成、移転
- 1899年(明治32)4月1日 「栃木県立第一中学校」と改称
- 1901年(明治34)5月17日 「栃木県立宇都宮中学校」と改称
- 1948年(昭和23)4月1日 新制高等学校「宇都宮高等学校」に改称、現校章制定、通信教育(通信制)開設
- 1948年(昭和23)11月1日 現校歌制定
- 1948年(昭和23)11月3日 報恩館落成式
- 1951年(昭和26)4月1日 「栃木県立宇都宮高等学校」と改称
- 1964年(昭和39)10月23日 新校舎着工
- 1979年(昭和54)5月25日 創立100周年記念式典挙行
- 1987年(昭和62)3月31日 通信制管理特別棟・普通教室棟竣工
- 1988年(昭和63)3月29日 旧本館(記念館)移動
- 1998年(平成10)7月23日 旧本館 国の有形文化財に登録
- 2003年(平成15)4月7日 文部科学省より「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」の指定を受ける
[編集] 生徒指標(校訓)
和敬親愛・質実剛健・自律自治・進取究明
[編集] 主な出身者
- 卒業生
- 船田元 - 衆議院議員、自民党、元経済企画庁長官、学校法人船田教育会理事長兼作新学院学院長、慶應義塾大学経済学部卒
- 枝野幸男 - 衆議院議員、民主党、元民主党政調会長、東北大学法学部卒
- 簗瀬進 - 参議院議員、民主党、東北大学法学部卒
- 両角良彦 - 通商産業事務次官 / のち府立六中に転校、東京大学法学部卒
- 立松和平 - 作家、早稲田大学政経学部卒
- 中村彰彦 - 作家、直木賞受賞、東北大学文学部卒
- 手塚富雄 - 哲学者、ドイツ文学者、文化功労者、東京帝国大学文学部卒
- 斉藤一也 - テレビ東京アナウンサー、東京大学経済学部卒
- 村上一郎 - 文芸評論家
- 樺山資英 - 内閣書記官長、貴族院議員。国際電話社長。 / 府立一中から転校(明治19年)、コロンビア大学・エール大学法学部卒・法博
- 安藤輝三 - 2.26事件決起将校、陸軍士官学校卒
- 安井英二 - 大阪府知事 / のち松山中学へ、東京大学法学部卒
- タイロン橋本 - ミュージシャン
- 佐藤幸夫 - 代々木ゼミナール世界史講師
- 教師
- 川上澄生 - 版画家
[編集] 敷地・校舎
敷地面積が非常に広く、その広さ故か校庭の中をJR日光線が東西に横断している。(校庭が第1グラウンド、第2グラウンドに分かれており、第2グラウンドに移動するためには一度校門を出た上で陸橋を渡る必要がある。なお、JR日光線のほうが先に開通しており、第2グラウンドは後からできたものである。)開放的なため、平日の昼間に近隣の住民が散歩している姿も見受けられる。
宇都宮市内から自転車通学する生徒が多数であるが、校内南西門から約300mのところにはJR日光線の鶴田駅があり、県内各地からの電車通学の生徒も多い。
また、中心部から離れたJR宇都宮駅の立地場所の問題上、放課後、中心部の塾等に通うために自転車などで移動が出来るようにと、わざわざ宇都宮駅に自転車を置いておき、宇都宮駅までは電車で来て、そこからは自転車で移動という変則的な通学方法を取る電車通学の生徒もいる。
校舎は南北にはしる真っ直ぐな長い廊下からいくつもの建物が横に生えているような非常にユニークな構造をしており、また外観の赤煉瓦が特徴的である。西側が特別教室棟、東側が普通教室棟となっており、最南端の建物に校長室、職員室、用務員室、保健室がある。校舎は基本的に二階建てであり、普通の教室棟のみ一階の下が駐輪場となっている。
校舎の北側には講堂、文化部棟、和敬寮が繋がり、南側東に体育館が二つ(西体育館・東体育館)繋がっている。校舎の東側には通称「ひょうたん池」があり、鴨の親子が泳ぐ姿が見られることもある。通信制の校舎は北東にある。東体育館の南側には旧校舎の「白亜館」があり、さらに弓道場と柔道場、プールがある。プールは昭和55年の「栃の葉国体」の際に水球の競技会場として使えるように改築された物で、深さや広さなどは一般的な学校付設のプールよりも大きくなっている。特に深さは2m以上あり、授業などの際は安全面を考慮して満水にしないこともおおい。宇高の自慢の一つである。
図書室は卒業生OBの寄付で建てられた「報恩館」を一部とし、また自習室に隣接している。図書館は5時(定期考査前は延長)で閉館するため、図書館で自習していたものは閉館直前に隣の自習室へ移動する。自習室は9時ごろまで開いており、生徒が管理をしている。
敷地の広大さゆえに様々な運動部が同時に活動できる。敷地は線路北側だけで周囲1kmほどあり、その半分を占める第一グラウンドだけでも普通の高校としては十分な広さである。
宇高のHP内の「宇高散策」で多少敷地内を見ることができる。全景は線路北側のみである。
[編集] 授業
授業は「予習→授業→復習」が前提。一年生はオールマイティな勉強をし、文理に分かれるのは二年生からである。
数学は一年生のうちに数学IAを終わらせて数学IIに入る。文理の分かれる二年生以降について、文系は二年の途中で数学IIBを終わらせて後はずっと入試対策となり、理系は二年の途中で数学IIBを終わらせて数学Cを始め、三年生の途中になってやっと数学III(全科目)が終わる。理系は数学IIICに平行して数学1A・2Bの入試対策もする。
現代文・古典は独自のシラバス[要出典]を使って授業に臨むことになる。基本的に全学年でやることはあまり変わらない。
地歴は二年生から始める。選択制。
理科は一年生のときは化学Iと理科総合Bを学ぶ。二年生になると、文系は生物か化学を選択し、理系は物理、化学、生物から二科目選択する。地学はない。ちなみに文系は生物選択者が多く、理系は逆に少ない。
全人教育を旨とし、受験勉強ばかりでなく家庭科や芸術や保健体育などといった授業も重視している。
芸術は入学時に美術、工芸、音楽、書道から一つ選択。三年生では文系のみ授業がある。
保健体育は、体育と保健に二分され、体育は、通常体育と武道に二分される。 尚、武道は入学時に、剣道か柔道を選択する。一年、二年次の前期半年間だけ、一週間に一度授業がある。柔剣道大会後のこれらの授業は無い。
[編集] 進学
近年、東大進学者の増加などにより公立進学校としての全国的な知名度が上昇してきている。また、東北大への進学者が比較的多い。 本人の希望が最優先ではあるが、主に「国立大進学」を課題として進路指導が行われる。旧帝大では東大と東北大以外を志望するものは非常に少なく、東工大も志望者がいないような年もある(平成18年度等[要出典])。早慶を初めとする私大受験も、模試的な受験とみなされる風潮がある。
生徒の成績の資料として偏差値を扱うことは無く、三年生時の「校内模試」(全4回)の点数によって進学先を検討する。各大学の学科ごとに基準点が定められ、その点数に達すればまず合格できるものとされる。この模試は長い伝統によって積み上げられた膨大なデータに裏打ちされた信頼を誇る(ただし、あまりに無名な大学やレベルの低い大学、または新設の場合はデータがそろわないため基準点は存在しない)。その作成には各教科の教師が膨大な時間をかけ、入念な吟味がなされる。この模試の平均は(一教科100点として)37点ほどになっており、東北大学法学部=50点が基準とされている。非常に難しい模試であるが基本問題も含まれており、真の実力が試される。
外部模試も受けるが、校内模試の成績が第一級資料とされる。しかし当然、一部の生徒のなかには校内模試だけでは測れない実力を持っており、校内模試点数では基準点に遠く及ばず、受けるだけ無駄と思われるような成績を持つ生徒でも、合格できることが稀にある。
ちなみに、一・二年生時は「校内学力テスト」をいわゆる実力テストとして一年に三回行う。二年生の三回目の校内学力テストは「0回模試」とも呼ばれ、「校内模試」の前哨戦ともなっている。
[編集] 学校行事
宇高では様々なイベントが行われ、クラス対抗のイベントでは全学年の21クラスで順位がつけられる。当然一年生のクラスが最上位になるということもある。
[編集] 体育大会
いわゆる体育祭である。毎年五月ごろに二日かけて行われ、一日目が球技大会であり、二日目が団体種目となっている。 選手宣誓は毎年男子校ならではの面白さに富んでいる。
[編集] 合唱コンクール
毎年7月にホールを借りて行われる。合唱曲は課題曲と自由曲の二曲であり、伴奏の有無は自由。また指揮者もクラス内で選び、一曲に一人ずつも可。課題曲は生徒から募集したものであり、まず詩が選出され、その後それにつける曲を募集する。採用された者はそれぞれ表彰される。優勝クラスの担任はステージ上で胴上げされる。
[編集] 水泳大会
終業式の直前、合唱コンクールの約一週間後に開催。各クラスで選手を決定し、個人種目やリレーなどを行う。優勝クラスの担任はプールに投げ込まれるのがお約束。選手宣誓も楽しみの一つ。
[編集] 宇高祭
いわゆる文化祭。二日にかけて行われ、一日目がホールを借りてのステージ発表、二日目が校舎でのクラス単位での発表である。三年生は受験を控えているためクラス発表はしない。二日目の午前中は自習となっている。ステージ発表では各文化部および有志団体の発表が行われ、また合唱コンクールの上位三クラスが再び自由曲を合唱する。二日目の発表では金銭売買や食堂、喫茶店は禁止されている。
[編集] マラソン大会
11月に行われる。秋になると体育の授業はこの大会のために持久走となる。全長17.3kmを宇高から鹿沼市の方まで行き、また戻ってくる。一位は一時間を切ることもあったが、2002年度からコース上のJR日光線の踏切が跨線橋となったため、それ以降、一時間を切る走者は現れていない。毎年ごく僅かながら、途中棄権者はいて、時には救急車に運ばれる者もいる。2006年度より、出発一時間後までに8.2km地点にたどり着けなかった者は強制棄権となるルールが加えられた。宇高に戻ってくるとリンゴとジュースが配られ、保護者達がつくるお汁粉とたくあんを食べる。疲れきった後のりんごは格別であり、寒空の下でのお汁粉は至極である。ちなみにお汁粉は一人2杯という制限があるものの実質的にはおかわり自由。棄権者達もこれらはもらえる。
[編集] 第九演奏会
芸術の授業の中の一つである音楽の授業の一環として、12月に宇都宮女子高と共催で行われる。これは両校の二年生の音楽選択生が授業で「第九」の合唱(独語)の練習をし、両校の合唱部と管弦楽部の演奏とともに発表するものである。ただし、演奏は第四楽章のみに限る。他に「ハレルヤ」(英語)や「ふるさと」も例年の演目である。これらの合唱には有志の教師も混ざる。また、合唱部と管弦楽部はそれぞれ独立して他に演目を持ち、部としても大きなイベントの一つである。
[編集] 菅沼キャンプ
一年生が8月に行う。山登りや飯盒を使った料理など、普段出来ないような貴重な体験をする。山は涼しいため、宇高に戻った時の暑さが疲れも手伝って非常につらく、帰るのが億劫。
[編集] 柔剣道大会
二年生が9月に体育の授業の一環として行う。その日の他の学年は通常授業である。
[編集] 首都圏進路研修旅行
二年生が12月に、宇高OB達の協力に寄って進路研修を行う。研修先はOBの協力次第なので毎年多少変わるが、大学や研究所、新聞社やテレビ局、さらには国会議事堂など多岐にわたる。生徒は事前に定められたコースを一つ選択し、一日に一箇所または二箇所を見学する。二箇所回る場合、研修先が文理系統でまとめられている。これらの研修は初日に行われ二日目からは実質として修学旅行になる。行き先は沖縄だが、年に寄っては変更になる(2006年度は京都)可能性もあるので注意。例えばだが、飛行機に乗る必要があるため、大きなテロなどがあった場合已む無く国内になることも考えられるだろう。
以下は沖縄にいく場合の一つの例。初日は各コースごとに駅で集まり、それぞれの研修先に行ってホテルに集まり一泊。翌日飛行機で沖縄に行き、クラス別行動。3日目は班別行動になり、最終日の午前中は学年行動で午後に帰路に着く。
[編集] エピソード
- 明治15年に栃木県第一中学校(現在の宇都宮高校)の生徒たちが先生に引率され、東京・上野で開かれた「第二回勧業博覧会」を見学したことが日本での学生・生徒の集団旅行のはじまりといわれており、今日まで続く修学旅行の原型となっている。
- 昭和23年落成の報恩館(現在も使用中 / 図書館の一部)は当時珍しい鉄筋コンクリート造りで、当初は見物人があとを断たなかったという。
- 冬は、地域に寄っては零下10度前後まで気温が下がることのある宇都宮市において、「質実剛健」を信条とする宇高では1990年代に入っても一般教室に暖房器具はなかった。その暖房器具の導入が決まった経緯は雑誌「アエラ」にも特集された。
- 全国高等学校クイズ選手権第9回大会優勝校。富士山決勝で優勝を決めた際に「喜び方が足りない」とディレクターにダメだしされて撮り直した、という逸話が残っている。(学校新聞「瀧乃原新聞」より)
- 「白亜館」は映画「ハチ公物語」(1987年公開)のロケで東京帝大の校舎として使用された。
- 講堂がTBS系ドラマ「さとうきび畑の唄」の撮影で使用された。歌手の森山良子が来校し、生徒もエキストラとして出演した。この撮影で講堂の天井が抜けてしまったというエピソードもある。
- 全国高等学校サッカー選手権大会(当時は全国高等学校蹴球選手権大会)第28回大会(1949年)で準優勝。翌年の第29回大会(1950年)で優勝している。
- 旧本館(1893年7月25日竣工 栃木県尋常中学校本館)は国の登録有形文化財(1998年登録)で、「白亜館」の愛称を持つ。1968年までは校舎として使用されていた。
[編集] 関連高校
- 茨城県立水戸第一高等学校 - 北関東旧制5大中学(水戸一、土浦一、宇都宮、前橋、高崎)の一つ
- 茨城県立土浦第一高等学校 - 同上
- 群馬県立前橋高等学校 - 同上
- 群馬県立高崎高等学校 - 同上
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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