梅原猛
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梅原 猛(うめはら たけし、1925年3月20日 - )は、宮城県仙台市出身で愛知県知多郡育ちの哲学者。文化功労者、文化勲章受章。学位は京都大学哲学士。称号は京都市立芸術大学名誉教授。京都市名誉市民。
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[編集] 人物・来歴
日本仏教を中心に置いて日本人の精神性を研究する。西洋哲学、西洋文明に対しては否定的な姿勢をとる。西洋哲学の研究者が多い日本の哲学者のなかで、極めて異色の存在である。市川猿之助劇団のために『ヤマトタケル』や『オオクニヌシ』『オグリ』などの歌舞伎台本を書き、これが古典芸能化した近代歌舞伎の殻を破ったので、スーパー歌舞伎と呼ばれている。また『ギルガメシュ叙事詩』を戯曲化した『ギルガメシュ』は中国の劇団が上演し、中国の環境問題の啓蒙に大きな役割を果たしている。『中世小説集』や『もののかたり』など説話に基づく短編小説集も評判をとっている。また『王様と恐竜』『ムツゴロウ』『クローン人間ナマシマ』などのスーパー狂言の台本も書いている。九条の会の呼びかけ人の一人。平城遷都1300年記念事業特別顧問。
鈴木大拙を近代日本最大の仏教者と位置付け、その非戦論の重要性を訴える。また「梅原日本学」と呼ばれる一連の論考では飛鳥時代の大和朝廷の権力闘争を徹底的に追求するなど、日本思想や日本古代史への興味は強烈である。天皇制への支持は強いが、排外的ナショナリズムには極めて批判的であり、靖国神社や憲法改正には否定的な立場を採る。彼の靖国批判や護憲的な姿勢のみに注目して、右派からはいわゆる左派的な方向に偏っている思想家であると思われがちだが、実際には右派・左派を含む諸派を対象として、イデオロギーの学問への介入それ自体を批判しており、「右翼」「左翼」という単純な二項対立概念では捉えることが不可能な人物である。
乳児期に実母(石川千代)を亡くし、生後一年九ヶ月で伯父夫婦(梅原半兵衛・俊)に引き取られ養子となる。実父は当時東北大学の学生だった梅原半二。小学校の頃は遊んでばかりいて空想好きのために勉強に身が入らず、愛知一中の入試に失敗している。
私立東海中学に辛うじて入学。南知多町(当時は内海町)の実家から2時間半をかけて通学した。1942年、広島高等師範学校に入学するが二ヶ月で退学、翌年第八高等学校入学。
青年期には西田幾多郎・田辺元の哲学に強く惹かれて、大学進学に際しては東大倫理学科の和辻哲郎(東大赴任前は京大哲学科の西田の下で助教授であった)の下で学ぶか、あるいは京大哲学科の西田の下で学ぶかの選択に迷ったが、結局、1945年、京都帝国大学文学部哲学科に入学するが、その年田辺は退官していた。西田も、すでに1928年に京大を退職していたが、京大哲学科には西田の影響が存在すると考えた。父親は哲学科への進学を歓迎しなかったが、梅原の熱意が強いため許可した。入学直後、徴兵され、9月復学。1948年、同大を卒業。
大学院では山内得立、田中美知太郎に師事、ハイデッガー哲学に惹かれつつもギリシャ哲学を専攻、しかし二度にわたって田中と対立した。最初の論文「闇のパトス」(1951年)は、哲学論文の体裁をとっておらず甚だ不評だったが、のちに著作集第一巻の表題となる。二十代後半、強い虚無感に襲われて、賭博にのめりこむような破滅的な日々を送り、1951年、養母・俊の勧めでピアニストの夫人と結婚、同年、長女が生まれた時、ヘラクレイトスについての論文を書いており、「日の満ちる里」という意味でひまりと名づける。のちヴァイオリニストとなった。そしてハイデッガーの虚無思想を乗り越えるべく「笑い」の研究に入り、いくつかの論文を発表したが、これは完成しなかった。30代後半から日本の古典美学への関心を強め、「壬生忠岑『和歌体十種』について」(1963年)という論文を書く。
[編集] 梅原日本学
梅原は大器晩成型で、40過ぎまで単著はなかった。自ら著作集の自序に於いて語るところによれば、これは「処女作というものは頭の先からしっぽまでもすべて独創的であるべきだ」という自己の信念のためであったという。1965年、仏像案内のテレビ番組の司会をし、これを本にした『仏像-心とかたち』を佐和隆研、望月信成との共著で刊行、毎日出版文化賞を受賞。1967年、中公新書から『地獄の思想』を刊行し、古代から宮澤賢治、太宰治に至る記述を行い、ベストセラーとなる。
その後日本仏教の研究を行い、釈迦からインド仏教・中国仏教を経て鎌倉新仏教までを述べる長編の仏教史「仏教の思想(共著)」を著すなど、多くの対談等の本、『美と宗教の発見』等の論文集刊行ののち、創刊された文芸雑誌『すばる』を舞台に、古代史に関する研究的評論の連載を始める。その中から、大胆な仮説『隠された十字架-法隆寺論』(1972年)を刊行して毎日出版文化賞を受賞、一躍マスコミの寵児となり、現在に至る。 『隠された十字架』は最も梅原の著書でも売れたものだという。
該博な知識による大胆な仮説により、「梅原古代学」、「梅原日本学」、「怨霊史観」といわれる独特の歴史研究書を多数著している。京都若王子の和辻哲郎旧邸に住む。しかし国文学、歴史学界からは批判も多く、例えば『水底の歌』の柿本人麻呂水死刑説は、益田勝実らによって批判されているし、法隆寺を「聖徳太子一族の怨霊を封じ込める為の寺」とする考え方にも批判論文が提出されている。親友は同僚だった白川静で、梅原説の信奉者としては井沢元彦がいる。最近は精力的に神道・仏教を研究している。
司馬遼太郎とは長年の交友があり、司馬の作品である『空海の風景』の正直な批評を出したが、彼を激怒させて以来、二人は犬猿の仲となる。
実父・梅原半二はトヨタ自動車常務取締役や豊田中央研究所所長を務めた。小説家の小栗風葉は養母俊の兄に当たる。同じく小説家の小中陽太郎は従弟。
美学者で滋賀県立大学人間文化学部教授の梅原賢一郎は息子、その妻はノーベル賞学者福井謙一の娘。
[編集] 学歴
- 旧制東海中学校(東海中学校・高等学校)卒業。
- 1943年:旧制第八高等学校(名古屋大学教養部)卒業。
- 1948年:京都大学文学部哲学科卒業。
- 1949年:同特別研究生。
[編集] 職歴
- 1952年:龍谷大学文学部専任講師。
- 1955年:立命館大学文学部専任講師。
- 1957年:同助教授。
- 1967年:同教授。
- 1970年 大学紛争に当たって辞職。
- 1972年:京都市立芸術大学美術学部教授。
- 1974年:同学長。
- 1986年:国際日本文化研究センター創設準備室長。
- 1987年5月:国際日本文化研究センター初代所長。
- 1995年5月:同退任。同顧問。
- 1997年:日本ペンクラブ会長。
- 2001年4月:ものつくり大学初代総長。
[編集] 受賞歴
- 1972年:『隠された十字架 法隆寺論』で第26回毎日出版文化賞。
- 1974年:『水底の歌 柿本人麿論』で第1回大佛次郎賞。
- 1992年:文化功労者顕彰。
- 1998年:京都市名誉市民顕彰。
- 1999年:文化勲章受章。
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『地獄の思想』(1967年、中公新書)
- 『美と宗教の発見』(同、筑摩書房、論文集)
- 『哲学する心』(1968年、講談社、論文集)
- 『笑いの構造』(1972年、角川書店)
- 『隠された十字架 法隆寺論』(1972年、新潮社)
- 『水底の歌 柿本人麿論』(1973年、新潮社)
- 『黄泉の王 私見・高松塚』(1973年、新潮社)
- 『さまよえる歌集』(1974年、集英社)
- 『塔』(1976年、集英社)
- 『湖の伝説 画家・三橋節子の愛と生』(1977年、新潮社)
- 『学問のすすめ』(1979年、佼成出版社)(自伝を含む)
- 『歌の復籍』(同、集英社)
- 『聖徳太子』(1980-85年、小学館)
- 『仏教の思想』(1980年、角川書店)
- 『梅原猛著作集 全20巻』(1981-82年、集英社)
- 『日本の深層』(1983年、佼成出版社)
- 『ヤマトタケル』(1986年、新潮社、スーパー歌舞伎)
- 『写楽仮名の悲劇』(1987年、新潮社)
- 『日本冒険』全3巻(1988-89年、角川書店)
- 『ギルガメシュ』(1988年、新潮社)
- 『日本人の「あの世」観』(1989年、中央公論社、論文集)
- 『小栗判官』(1989年、新潮社、スーパー歌舞伎原作)
- 『〈森の思想〉が人類を救う』(1991年、小学館)
- 『海人と天皇』(1991年、朝日新聞社)
- 『古代幻視』(1992年、文藝春秋)
- 『百人一語』(1993年、朝日新聞社)
- 『中世小説集』(同、新潮社)
- 『もののかたり』(1995年、淡交社)
- 『共生と循環の思想』(1996年、小学館)
- 『京都発見』1-8(1997-2004、新潮社)
- 『オオクニヌシ』(1997年、文藝春秋)
- 『芸術と生命』(1998年、岩波書店)
- 『亀とムツゴロウ』(1999年、文藝春秋、小説)
- 『天皇家の"ふるさと"日向をゆく』(2000年、新潮社)
- 『法然の哀しみ』(梅原猛著作集10、2000年、小学館)
- 『梅原猛著作集』全20巻、(2000-03年、小学館)
- 『シギと法然』(2000年、文藝春秋)
- 『三度目のガンよ、来るならごゆるりと』(2001年、光文社)
- 『梅原猛の授業 仏教』(2002年、朝日新聞社)
- 『梅原猛の授業 道徳』(2003年、朝日新聞社)
- 『梅原猛、日本仏教をゆく』(2004年、朝日新聞社)
- 『母ごころ 仏ごころ』(同、小学館)
- 『梅原猛の授業 仏になろう』(2006年、朝日新聞社)
- 『神殺しの日本 反時代的密語』(2006年、朝日新聞社)
- 『歓喜する円空』(2006年、朝日新聞社)
[編集] 共著
- (中上健次)『君は弥生人か縄文人か』朝日出版社
- (埴原和郎)『アイヌは原日本人か』小学館
- (吉本隆明・中沢新一)『日本人は思想したか』新潮社
- (山折哲雄)『宗教の自殺』PHP研究所
- (福井謙一)『哲学からの創造』PHP研究所
- (中曽根康弘)『政治と哲学』PHP研究所
- (河合隼雄・松井孝典)『いま、いのちを考える』岩波書店
- (上田正昭)『「日本」という国』(大和書房)
- (稲盛和夫)『新しい哲学を語る』PHP研究所
- (白川静)『呪の思想-神と人との間』平凡社
- (山折哲雄・長谷川公茂・河合雅雄))『神と仏 対論集 第1巻 神仏のかたち』角川書店
- (中沢新一・松井孝典・日高敏隆)『神と仏 対論集 第2巻 神仏のすみか』角川書店
- (市川亀治郎)『神と仏 対論集 第3巻 神仏のまねき』角川書店
[編集] 関連項目
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