森喜作
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森喜作(もり きさく、1908年 - 1977年)は、群馬県桐生市出身の農学者。群馬県立桐生高等学校、京都大学農学部卒業。森産業株式会社社長。不可能といわれたシイタケの人工栽培法を開発。「きのこの慈父」「ドクターモリ」と呼ばれる。歴史学者の羽仁五郎は叔父。関越道沼田IC付近、桐生市内にあるドクターモリの看板は強いインパクトがあり有名。
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[編集] 略歴
- 1932年、京都大学農学部在学中、大分県の山村でシイタケ栽培に失敗して悲嘆に暮れる老人の姿を見て、シイタケの人工栽培を志す
- 1935年、森食用菌箪研究所設立
- 1942年、純粋培養菌種駒法を発明。特許取得
- その後森産業株式会社を設立。今日のシイタケ産業の礎を築いた
- 1973年、日本きのこ研究所初代理事長に就任
[編集] トピックス
- 森は人工栽培法を発明すると、真っ先に大分の老人に種ゴマをプレゼントした。この行為は美談として小学6年生の国語の教科書に取り上げられ、いまでも語り継がれている
[編集] 主な著作・論文
- 「シイタケのつくり方」農山漁村文化協会(1987)
- 「礫耕キュウリにおける疫病の発生」日植病報(1963)
- 「礫耕キュウリ疫病に関する研究 第1報 病原菌の培養液中における遊走子のうの形成」日植病報(1965)
- 「れき耕栽培のウリ類疫病の生育中薬剤防除」日植病報(1967)
- 「れき耕キュウリの疫病防除に関する研究」静岡農試研報(1968)