楠木正虎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
楠木 正虎(くすのき まさとら 永正17年(1520年) - 文禄5年/慶長元年1月11日(1596年2月9日))は、足利義輝、松永久秀、織田信長、豊臣秀吉に仕えた戦国武将。旧名:大饗長左衛門(甚四郎)、楠長譜(くすのき・ちょうあん)。式部卿法印、従四位上河内守。
松永家、織田家、豊臣家の右筆(書記官)を担当し、楠木正成の子孫と称し、朝廷に楠木正成の朝敵の赦免を嘆願した。久秀の取り成しにより1559年には正親町天皇の勅免を受けて、晴れて楠木氏を名乗り、楠長譜から楠木正虎と改名した。1575年には式部卿法印に叙せられ、松井友閑らとともに佐久間信盛の監督官の立場に任じられる。正虎は、書を飯尾常房に学び、世尊寺流の当代一流の書家であった。
1592年の朝鮮征伐に際しては、肥前国名護屋城において、石田三成の父である石田正継とともに記帳などにあたった。後に従四位上河内守に任じられた。