毛利弘元
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毛利弘元(もうりひろもと、文正元年(1466年) - 永正3年1月21日(1506年2月13日))は、室町時代、戦国時代の安芸国(広島県)の国人である。毛利氏当主。父は毛利豊元。正室は福原広俊の娘ほか側室。子に毛利興元・毛利元就・相合元網・北就勝他。千代寿丸。治部少輔。生年は1468年(応仁2年)説もある。
安芸に生まれる。1476年(文明8)に家督を相続する。大内政弘、大内義興の影響下の国人領主の一人で、義興率いる大内軍に長男興元と共に従軍した。細川氏と大内氏の間で、さらに1499年(明応8)には明応の政変で失脚した幕府将軍足利義稙を保護した大内氏と幕府の間で揺れる。この危機を自身の隠居ということで解決に導いたが、その心労と酒毒により急死した。
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