水野忠誠
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水野 忠誠(みずの ただのぶ)は、江戸時代末期の大名、老中。
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生誕 | 天保5年7月25日(1834年8月29日) | |||
死没 | 慶応2年10月28日(1866年12月4日) | |||
官位 | 従四位下出羽守 | |||
藩 | 駿河沼津藩藩主 | |||
父母 | 実父:本多忠考 養父:水野忠寛 |
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兄弟 | 水野忠誠、稲垣太清、本多忠胤 | |||
子 | 養子:水野忠敬 |
天保5年(1834年)7月25日生まれ。幼名は惣兵衛。岡崎藩から沼津藩に養子入りし、養父忠寛隠居と同時に家督を相続し、老中に進む。幕府は第二次長州征討の総大将に尾張侯徳川慶勝を任命したが慶勝が固辞したため、忠誠が総大将に任命されたが、征討の準備中であった慶応2年(1866年)10月28日、沼津城中で急死した。後を水野忠敬が継いだ。墓所:東京都文京区小石川の伝通院。
[編集] 経歴
- 1834年(天保5年) :7月25日、生まれる。
- 1862年(文久2年) :水野家相続
- 1863年(文久3年) :奏者番兼寺社奉行(10月22日)
- 1864年(元治元年):奏者番、寺社奉行免職(11月10日)
- 1866年(慶応2年) :老中(7月13日)、在職中死去(10月28日)
[編集] 関連項目
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