永遠の愛を誓って
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『永遠の愛を誓って』(えいえんのあいをちかって)は、1991年(平成3年)にjicc(現・宝島社)から出版された単行本。
兵庫県立姫路西高等学校在学中に白血病と闘った安積成美が恋人の藤保秀樹と2年半に渡ってやりとりした約500通の手紙がまとめられている。2004年(平成16年)には社会現象を起こした「世界の中心で、愛をさけぶ」のノンフィクション版として再び注目を浴びた。
[編集] 概要
安積は姫路市亀山の出身で美容師の兄がいる。姫路市立白鷺中学校時代はテニス部に所属。
1984年(昭和59年)に姫路西高校を受験するも不合格。1年間、市内のYMCA姫路予備校で浪人生活を送りそこで生涯の恩師となる近重厚治と出逢い、努力の結果1985年(昭和60年)に見事姫路西高校に合格する。
高校1年時の体育祭をきっかけに、同い年で当時生徒会役員だった藤保と交際するようになる(ちなみに告白したのは藤保)。安積は交際初期に藤保さんへ実は同い年だが中学浪人を経験したため1学年年下であることを涙ながらに告白したが、彼は快く受け入れた。1986年(昭和61年)、安積は2年生、藤保は3年生へ進級し藤保は生徒会長になるが、その年の10月に安積は白血病と診断され国立姫路病院にて長期入院を余儀なくされる。その間藤保は大阪大学に現役合格した。
1987年(昭和62年)4月、退院を許可された安積さんは出席日数不足で再び2年生、藤保は阪大の1回生となり離れ離れになったが2人の絆は以前にも増して強くなり、藤保は頻繁に姫路まで帰っていた。高校に復帰した安積は全国模試で学年5位の成績をおさめ、近重から「阪大どころか東京大学へも行けるぞ」と絶賛された。
富山県立山への修学旅行へも参加でき青春を謳歌していたのだが3年生への進級が決まった1988年(昭和63年)4月、国立姫路病院へ再入院。安積は悔し涙を流していた。今度の入院では病室にポータブルトイレが用意されたり、髪の毛が抜けたりしてドン底の状態だったが藤保は頻繁に見舞いへ来て彼女を励ましていた。また、高校の友人はもちろんのこと近重や看護師である藤保の母親、白鷺中学校時代の友人だった嶋尾康史も見舞いに訪れていたが病状は悪化する一方だった。その年の年末に最後の一時帰宅が許され、自身の友人や藤保と初日の出を見ようとするが悪天候のため断念。元号が平成になってからは眼底充血のために目も見えなくなり、藤保からの手紙も見ることが出来なくなった。
1989年(平成元年)3月、安積は自身20歳の誕生日に藤保から指輪を貰うが結局それが永遠の別れとなり、3月20日、安積は帰らぬ人となってしまった。